日本語をどう書くか

日本語をどう書くか
柳父 章 S56 PHP研究所

内容(「BOOK」データベースより)

日本語は漢語や西欧語の翻訳の影響によって作られたという視点から、書き言葉としての日本語の成立事情を考察しつつ文章語の問題点を鋭く摘出し、未来の日本語への可能性をさぐる明快な文章読本話し言葉と書き言葉のちがい、句読点や文末語の使用法、段落の切り方、語感と文体との関係などを、作家や翻訳者たちの豊富な文例を示しながら平易に説き、混迷する日本語表現に明快な指針を示す。

感想

私たちが使っている現代日本の書き言葉がどのようにして成立したか、述べている。本書の主張を簡単にまとめると、

○漢文訓読という翻訳用の書き言葉がある。そこに西洋語の翻訳を組み込み、原文の一語一句を拾うという訓読のような生硬な文体で翻訳し西欧語訓読体とでもいうべきものが近代日本で成立した。それが書き言葉に大きな影響を与え、現代の書き言葉は成立した。

本書はおおむね説得力のある本だった。しかしその一方で、書き言葉と話し言葉の差違をあまり整理できておらず、そこをしっかり丁寧に論ずるところから、書き言葉の特殊性やその成立過程を論証しなければならない、と感じた。

西欧語翻訳文が書き言葉に影響を与えたのはその通りだと思うが、本書はそれを重視しすぎなきらいがある。
室町時代狂言や江戸時代の口語文と、現代日本語がよく似ていることを証拠に、現代日本語の源流は室町時代にあり、室町時代を境にそれ以前が古代語、それ以降が近代語である、とする指摘を読んだことがある(「日本語スタンダードの歴史」野村剛史)。
この指摘をふまえると、西欧語翻訳文の影響に対する本書の評価は疑問である。

また、書き言葉と話し言葉の差異について著者はここまでいってる。
「日本語の書きことばは、長い歴史を持った話しことばとは、ほとんど全く別の必要から、きわめて人工的に作られた言語」
その根拠もよくわからないし、話し言葉と書き言葉の違いやそれぞれの成立過程を整理しているわけでもない。
そんななか、本書の指摘は、あまりにオーバーだろう。

メモ

○日本語の書き言葉にはもともと、文章の区切り、「文」、「句点」、「読点」はなかった。西欧語の影響で人工的に作られた。

○漢文訓読をもとにした西欧語訓読体のメリットは、辞書さえあれば翻訳ができたこと。能率的な翻訳が可能で、外国語の意味があまりわからなくとも、とにかく日本文の形にできる。

○日本以外の多くの国は、直接外国と国境を接しているため、(優勢な方の)話しことばで外国と接してきた。一方日本は、直接外国と国境を接しておらず、書き言葉で接することが圧倒的に多かった。日本は世界でもまれな翻訳国。

○近代以後の日本の学問や思想は、ほとんどすべて訓読調の翻訳言葉によって語られている。これは日本における学問そのものの基本的性格をも支配している。

○「○○は○○である。」という典型的な文型は、もともと翻訳文に多く使われたものであり、そこから一般化した。

○日本語の多くは、文末に敬語など、助動詞や終助詞が続く。言いたいことだけでなく、書き手の主体的態度を表す言葉を付け加えているのである。

一方、「〜する。」といった動詞終止形止めの文体は、通常ならその後に続く助動詞や終助詞がない。この文体は内輪の人間に意味を伝えればそれでよい、近世の歌舞伎脚本のト書きに始まったものである。