皇帝ハイレ・セラシエ エチオピア帝国最後の日々

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皇帝ハイレ・セラシエ エチオピア帝国最後の日々
リシャルト・カプシチンスキー(著),山田 一廣(翻訳) 筑摩書房 1978

内容、カヴァー折口より

1974年、エチオピア革命。約半世紀にわたって君臨した皇帝が廃位されると、著者たちは現地へ飛び、隠れ暮らす宮廷の元召使たちにインタビューを重ねる。
ドア番、足台係、皇帝の愛犬の小便係、忠臣の財布運び係…。彼らの素朴な言葉から、他人を誰も信用せず、自ら張りめぐらした諜報網の中、ひたすら権力に執着した独裁者の素顔が、浮き彫りにされてゆく。
3000年の飢餓と貧困の上に立った独裁から革命への日々をよみがえらせる戦慄のドキュメント。

感想

 「訳者あとがき」に、「本書の特徴は、数多くの証言を縦横に積み重ねることによって構成されている点である。皇帝に仕えた側近たちにインタビューして、彼らの言葉を綿密に拾い集めているのである」、とある。
 内容に関しては、上に引用したとおり。インタビューを受けているのはいずれも皇帝のそばにいた人々。しかし高官というわけではない。なぜなら高官は、ハイレ・セラシエが失脚する前にクーデターを起こした軍に捕まっているから。
 証言者はみな言う。
「尊き陛下」、
「高貴なる陛下」、
「お情け深い陛下」、
「賞賛に値する陛下」、
「慈悲深い陛下」、
「至高なる陛下」。
 日本語に訳されているけれど、原語でもしかるべき敬語が付いているのだろう。これらを繰り返す証言者たちだが、あまり意識的に使っているようにもみえない。ハイレ・セラシエを尊敬していない、という意味ではない。むしろ尊敬しているのだ。ただ、無意識的に。
 そう、偉大なる皇帝に付されたこの敬語は、慣用句なのだ。そして、当時のエチオピアは世間も宮廷もそれが無意識に広がり、たぶんそうなっていることすら意識されない世界だったのだ。身分社会。そしてそれが常識、あるいは社会システムという点では、日本の古典文学の世界と同じなのかもしれない。

 エチオピアの旧皇帝は、甚大な記憶力をもち、人事と金の動きを徹底的に掌握。監視の結果を複数人から毎日聞き、エチオピア全土とその宮廷を支配した。配下から無意識の尊敬を集め、そしてそういう世界をつくった。
 先にも書いたが、本書に集められた証言者たちは、皇帝に近い人物たちだ。高官というよりも、ドア番など皇帝の世話係に近い人々たち。皇帝への批判は特になく、その様子を語る。カプシチンスキ―の補足・説明は最小限。並べられた証言からは、生の世界、それそのもののがおぼろげながら浮かび上がってくる。
 そして、クーデターに向けて変革の足音がコツコツ。少しずつ聞こえてくる。少しずつ大きくなる。飢饉、西洋的価値観を知った留学生たちの不満、外国メディアの批判、地方の蜂起、ほころびはじめるシステム、機能しない高官たち、宮廷に蔓延する陰鬱・憂鬱・無気力。じわじわと権力を伸ばす軍部。
 回り出した歯車は、それが崩壊するまで止まらない。
 エチオピアを意のままに支配した皇帝は失脚した、逮捕された、死んだ。しかしその結果それでも、エチオピアに自由が訪れたわけではないのはご承知の通りだ。