あのとき、大川小学校で何が起きたのか

あのとき、大川小学校で何が起きたのか
池上 正樹,加藤 順子 2012 青志社

内容、出版者ウェブサイトより

3.11の大津波で、全校生徒108人のうち、
実に74人の死亡・行方不明者を生む大惨事の舞台となった
宮城県石巻市立大川小学校。

これまで、ひた隠しにされてきた
「空白の51分」の悲劇が明らかになった。
なぜ、「山さ逃げるべ」という児童の懇願も受け入れず避難が遅れたのか?
なぜ、石巻市教育委員会は児童の聞き取り調査メモを廃棄したのか?
なぜ、真相解明を求める遺族の声は聞き入れられないのか?

膨大な資料開示請求から得た新事実と、
行政・遺族双方への緻密な取材によって再検証する、
渾身のノンフィクション!

感想

○先の東日本大震災における話。津波の情報を得つつも、50分もの間、具体的な避難行動をとらず、84名に及ぶ死者・行方不明者を出した小学校があった。教員もわずか一名、児童も数名が生存するのみで、小学校に待機した児童、教員のほとんど亡くなってしまったのである。

なぜ50分もの間、具体的な避難行動をとらず校庭で待機していたのか? この情報は行政によって当初はごまかされた。
すぐ裏の山に逃げようと述べた教員や児童もいたという証言もある。結果論だが、そうすれば彼らの命は助かっただろう。行政も長い時間かかってようやく証言の存在を認めた。

本書は、情報開示を通して行政の説明の矛盾点をつき、行政を追究していく様や、児童を亡くした保護者の気持ちや行政追求の動きを追った本である。

権力者によって隠されんとした情報を保護者と一緒になって少しずつ暴いていった著者らの仕事は、ジャーナリズムとして素直に評価したい。

○本書は構成がむちゃくちゃ。どういう意図で本書の章立てを構成しているのか理解できなかった。
児童・教員のほとんどが亡くなってしまったこの事件の問題点が散在して述べてあって、ぜんぜん整理できていない。読みにくい。

わりあい問題点はシンプルだと思う。行政の問題隠しや、学校の災害対策不足、規則かなんかに縛られて、柔軟に行動できなかったことも指摘できる。いずれも個人の責任でおさめるのではなく、組織の問題として考えるべきだろう。情報管理のいい加減さも突いていたな。

本書はそれら問題点がだらだらと引き延ばされて述べられてる感じ。こんなんでよく世に問うことができるな、と思った。

本書が指摘している問題は、組織や行政をよりよくしていくうえで非常に重要な問題だとは思うが、もっと整理してわかりやすく提示して欲しい。

○本書は行政の情報管理のずさんさを糾弾しているが、正直、厳しすぎると思った。当時の想像を絶するであろう混乱した状況にあって、記録の正確性や周辺情報の有無などを追究しても、ちょっと非現実的な主張だなあ、と思った。特に日本においては。

なぜそう思うかというと、上記に述べたように当時むちゃくちゃ混乱状態だった、というのに加え、普段からしっかり記録を残していく教育が行われていないからである。それが今回の情報管理の不備につながったと思う。もちろん、問題を隠蔽したいというのが一番だとは思うが、それに加え、普段からしっかり記録を残してこなかった、というのもあるだろう。
付け加えるならば、そういうことを突きつめていくと、行政コストの上昇につながるというマイナスもある。あるいは記録を残すことに気をとられ、問題解決の質が下がるだろう。
さらに付け加えるならば、しっかり記録を残していく行政をつくりたいのなら、そのノウハウや姿勢を、行政においてみっちりと普段から教育するのみならず、学校教育のなかに、社会を生きるスキルとして教育していく必要があるのではないだろうか。

僕はそう思った。本書の筆者たちが求めるような情報をしっかりと記録し管理していく社会、ないし行政をつくりたいのであれば、そこから取り組む必要が有るだろうと。

僕自身の考えとして、学校教育のなかで、メモ取りとその保存から始まる記録の作成・管理を目指した教育は必要だと思う。ただ、行政において記録の管理をどれほど求めるのかということはメリットとデメリットよく天秤にかけて議論していくべきではないだろうか。

同じことを延々と繰り返すよりも、そこら辺を丁寧に整理し、議論の材料としたほうがうん百倍も有意義な本になったと思う。

○なぜ50分にもわたる長時間、避難行動をとらず校庭で待機していたのか? というのは素直に興味をひく疑問だ。
管理職や教員たちは避難することにどんな危惧があったのだろうか? 何がひっかかったのだろうか? 正直よくわかんない。本書にも推測が載っていなかったと思う。
ホントに不思議だ。

○大川小学校の先生たちを弁護している意見を見つけ、なるほど、と思う部分があったので引用しておきたい。
「「A教諭」に対して、世間はもう少し寛容であるべきでは。」:スメルジャコフ
http://www.amazon.co.jp/review/RZWBLLT67E536/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4905042577&linkCode=&nodeID=&tag=

宮城県職員組合編「東日本大震災 教職員が語る子ども・いのち・未来」(明石書店)、あるいは三陸河北新報社石巻かほく」編集局編「津波からの生還」(旬報社)などをこの本と併せて読んでみますと、学校の現場では、それどころではなかった事情が察せられます。
まず、被災地一帯の学校については、地震の後、校舎が倒壊するのではないかと懸念されるほどの状況にあったということです。仙台市沿岸部の学校の先生方も、前掲「教職員が語る…」の中で、「地震直後には学校まで到達するかどうかは判断できない津波からの避難を優先して、倒壊の危険性のある校舎の上階に生徒を戻すかどうか」の判断には、かなり迷った旨、証言されています。とくに震災の直前に発生した、ニュージーランドでの、地震に伴う語学学校ビル倒壊によって多くの日本人留学生が被災した事例を、先生方も強く意識されていたようで、校舎内よりも校庭の方が、少なくとも地震に対しては安全、と判断されたようです。さらに、本震後にも、本震と同等規模に感じられる余震が何度も襲ってきていたことです。この本には、目撃者の証言として、何人かの生徒が先生に裏山に逃げるように進言したが、先生には聞き入れてもらえず、中には実際に裏山に逃げた生徒もいたのに、先生に連れ戻された旨が記述されております。その部分だけを読むと、なぜ生徒の自主判断に任せなかったのか、裏山に上った生徒に「戻れ」と指示したり、連れ戻したりするなど、結果から見れば、助かったかもしれない生徒をむざむざ死なせてしまったようなものじゃないかと腹が立ってきますが、前掲「教職員が語る…」に記載されている他校の例からは、頻繁に起こる余震に、先生方も生徒たちもほとんどパニック状態にあったことが推測されますし、前掲「津波からの生還」には、実際に、あちこちの崖で、本震・余震によってがけ崩れが起きていた事例が紹介されており、大川小学校の先生方も、裏山の崩壊を、真剣に懸念していたのではないでしょうか。ということを考えれば、校庭に生徒たちを集合させ、そのままの状態に置き、裏山に避難させなかった先生方の判断も、ほとんどの人が大津波の規模を予想もしえなかった(前掲「津波からの生還」での生還者の数々の証言)事情ともあいまって、結果的には誤りだったとしても、理解はできます。