イギリス帝国の歴史 アジアから考える

イギリス帝国の歴史 アジアから考える
秋田 茂 2012 中央公論新社

内容(カバー折口よりより)

かつて世界の陸地の約四分の一を領土として支配したイギリス帝国。その圧倒的な影響力は公式の植民地だけにとどまらなかった。本書は近年のグローバルヒストリーの研究成果をふまえ、アジアとの相互関係に注目しつつ、一八世紀から二〇世紀末までの帝国の形成・発展・解体の過程を考察する。今や世界経済の中心はアジア太平洋経済圏にシフトしつつある。そのシステムの基盤を作り上げた帝国の意義を明らかにする試みである。

メモ

○イギリスの産業革命の特徴
1.海外貿易額が倍以上に伸びた。(近世ヨーロッパの経済が相対的に停滞するなか)
2.貿易相手がヨーロッパ大陸から非ヨーロッパ世界へ。
3.貿易品目の変化。輸出は毛織物から、ガラスや石鹸など消費財的工業製品が増加。輸入は砂糖やタバコ、コーヒー、綿織物など、新大陸やアジア方面からのものが激増。

○インド↓
宗主国、イギリスによる自由貿易体制の中で綿糸の輸出や綿糸関係の雇用者数を伸ばす。インド産の綿糸は日本に多く輸出され、日本の富国強兵につながった。

○イギリス帝国民は帝国各地(各国)の移動と居住が自由だった。
「イギリス以外の植民地帝国にはみられない特典として、非ヨーロッパ系の住民にとっては自己の利害のために大いに活用できた」
例:ガンジー
  若いころ南アフリカで弁護士をしていた。

日英同盟とその後における両国のメリット
日本は最新鋭の戦艦、巡洋艦をイギリスから輸入(それで日本はロシアと対峙できた)。イギリスは日本の軍事市場を獲得。
日本は国際金融市場であったロンドン・シティの金融市場で戦費を獲得。イギリスは逆に日本という有利な海外投資先に投資でき利益を得た。
植民地インドも日本に原綿を輸出し、外貨を稼いで対英債務の返済を円滑に行うことが可能になった。

第一次世界大戦において英領インド軍は世界各地に派兵された。そこで白人を相手に互角に戦い、植民地では支配者であったイギリス人将兵と同列で本格的な近代戦の戦闘に参加したことは、ヨーロッパに派兵されたインド人兵士たちの自信と誇り、さらにナショナリズムを高揚させることになった。

○1939年の協定により、イギリスはインド軍の海外派兵費用を負担することになった。このためインドはイギリスに対し、1942年、債務国から債権国に転じた。

感想

○イギリスに関する知識がないせいか、読むのに時間がかかった。本書はイギリスだけを論じたものではない。イギリスの植民地や他国との関わり、そしてそれらの変化を整理している。特にインドや日本、中国といったアジア諸国との関わりに焦点を当てている。当時のイギリスの状況から各国、各植民地の状況、各年代の世界情勢、貿易に関する知識、金融に関する知識等々、豊富な知識が必要とされる本だった。