アーロン収容所
おすすめ!
アーロン収容所
会田雄次 初版1962 中央公論社
内容、出版者ウェブサイトより
イギリスの女兵士はなぜ日本軍捕虜の面前で全裸のまま平気でいられるのか、彼らはなぜ捕虜に家畜同様の食物を与えて平然としていられるのか。ビルマ英軍収容所に強制労働の日々を送った歴史家の鋭利な筆はたえず読者を驚かせ、微苦笑させながら、西欧という怪物の正体を暴露してゆく。激しい怒りとユーモアの見事な結合と、強烈な事実のもつ説得力のまえに、読者の西欧観は再出発をよぎなくされよう。
感想
久しぶりに本を一気に読んだ。もちろんとてもおもしろかったからだ。本を読むことの効用として、他人の人生や経験を追体験できるから、というものがある。本書はまさに、それにドンピシャとくるものだった。
著者はビルマ戦線で第二次世界大戦の敗戦を迎え、イギリスの捕虜となる。その約二年間の記録が本書である。
国力を総動員した大戦争の敗北! 異国での強制労働! 著者の壮烈な体験は、まさに希有な体験というべきだろう。
「この経験は異常なものであった。この異常ということの意味はちょっと説明しにくい。個人の経験としても、一擲弾筒兵として従軍し、絶滅にちかい敗戦を味わいながら奇蹟的にも終戦まで生きのび、捕虜生活を二年も送るということも異常といってよいかもしれない。異常といえば、日本軍が敗戦し、大部隊がそのまま外地に捕虜となるということ自体が、日本の歴史はじまって以来の珍しいことである。」p4
著者は、イギリスに囚われ労働を強いられることによって「近代化の模範国、民主主義の典型、言論の自由の王国、大人の国、ヒューマニズムの源流国」p5といったイギリスを賞賛する見方が変わった、という。イギリスには良い面も悪い面もあろうが、「その中核を形づくっている本体」p6を考えるうえで、筆者の経験は参考になるのではないか、という。
著者の考察は、イギリスのあり方を追求するとともに、当時の社会の様子や人々の生活、収容所の在り様、民族的な特徴、イギリスの植民地支配、イギリス人の根強い差別意識の実態を明らかにしている。本書は今はなき世界を保存し、ものごとを考える材料になっている。
とくに印象に残ったことが3つある。
1つは、西洋人の計算が遅いさま。かつてシベリア抑留の記録を読んだことがあるのだが、それとも重なる内容だ。イギリスの監視兵は掛け算ができず、また数え間違いも多く、いらいらするほど待たされたという。逆にいうと日本人は末端にいたるまでよく教育されていた、ということなのだろう。
また、著者はイギリスに対する激しい憎しみを繰り返し表明している。
イギリス下士官にたいし「傲慢、残忍、陰険、着実、冷静」p79
「イギリス人を全部この地上から消してしまったら、世界中がどんなにすっきりするだろう」p82
本書は冷静な筆致だしその考察も怒りに左右されることなく、落ち着いて行っている。その分、当時の気持ちだ、という留保をつけつつもイギリスに対する強烈な憎悪を述べている点。それが印象的だった。
最後は、抑留者のたくましい様子だ。食料不足からイギリス軍の物資を盗みこっそり運び出し(畳2畳分はあろうかというベニヤ板まで)、またビルマ人やインド人と物資を交換し、さまざまなものを調達する。はては戦時中の班をもとに演劇が盛んになったという。
理不尽な状況、過酷な状況にあっても、明るく前向きに楽しく生きていこうとする人々。人間に内在するこんな本質こそが、人間の社会を豊かにいろどってきたんじゃなかろうか。ふと、そう思った。
メモ
・「終戦まで生き残ったものは運がよかったものもいるが、ずるいのもすくなくない。少なくとも私はそうである。なんとはなしに召集され、逃げかくれも、さぼることも下手で、黙って死んでいった多くの人びと、そういう人々にたいして私は心の底からはずかしい気がする。」p35
多くの戦友が無惨に死んでいったなか、あの凄惨な戦場から生き残ってしまった。そういう強い自責の念が表された文章である。この気持ちは経験者にしか分からないのだろう。ただこれを読む僕はまゆを歪めてしまうだけだ。
・「はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうかとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らねばならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである。」p50
「そのときはビルマ人やインド人とおなじように、イギリス人はなにか別種の、特別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。」p50
・「無意味で過重で単調な労働の連続は、やがて兵隊たちの反抗心を失わせ、希望をなくさせ、虚脱した人間にさせていった。半年もたつと収容所の門で、飯盒と水筒をもち、腰をおろして出発命令を待っている兵隊の顔は、何とも異様なものになっていた。みんなだまりこくって、ぼんやり地面をながめている。兵隊につきものの猥談も出ない。」p62
・(日本は捕虜や非戦闘員に対する処置で戦争犯罪を追及された。しかし死体を冷静にあつかったり、捕虜を上手に管理して効率よく働かせるイギリスをみると、この差は「多数の家畜の飼育」p66をしてきたか否かが、影響しているのではないか。日本人は「多数の家畜の飼育」をしてこなかった。そのため、死体処理には慣れておらず、血を見て逆上してしまうことがあった。そこがヨーロッパ人には残虐という印象をあたえたのではないか。日本人は捕虜をつかまえるとその扱いがよくわからず閉口してしまうような具合だった。
一方イギリスは、「多数の家畜の飼育」に慣れているがため、死体を冷静に扱い、また羊の群れを管理するように「捕虜というような敵意に満ちた集団をとらえて生かしておく(生活さすのではなく生存させておく)」p67技術にたけていた。)p65
「とにかく英軍は、なぐったり蹴ったりはあまりしないし、殺すにも滅多切りというような、いわゆる「残虐行為」はほとんどしなかったようだ。しかし、それはヒューマニズムと合理主義に貫かれた態度で私たちに臨んだであろうか。そうではない。そうではないどころか、小児病的な復讐欲でなされた行為さえ私たちには加えられた。
しかし、そういう行為でも、つねに表面ははなはだ合理的であり、非難に対してはうまく言い抜けできるようになっていた。しかも、英軍はあくまでも冷静で、「逆上」することなく冷酷に落ちつき払ってそれをおこなったのである。ある見方からすれば、かれらは、たしかに残虐ではない。しかし視点を変えれば、これこそ、人間が人間に対してなしうるもっとも残忍な行為ではなかろうか。」p74
・(イギリス人は、兵士に比べ士官は身長も高く体格が立派。すぐに見分けがつく。イギリスの上流階級は学力だけでなく体格の面でも秀でており決定的な違いがある。
英軍の階級制度は日本と違って、一般の社会構成をかなり正確に反映している。軍人はもとの社会的地位にふさわしい階級をうけ、それに適合した兵種にまわされる。「イギリスのブルジョアとプロレタリアは、身体から、ものの考え方から、何から何まで隔絶」)p110
・(インド兵に比べ、グルカ兵は馬鹿正直で勇敢で規律正しく剛健愚直の見本みたいなものだった。)p124
・(捕虜収容所で発言権をもってくるのは、泥棒がうまい人、盗んだものを検問所のチェックからすり抜けて運び出せるのがうまい人、ゴテることのできる強い心臓をもっている人、「名文句」の入ったとうとうたる弁舌をできる人。
・戦争という危機的な状況ではその英雄的な能力を発揮し、集団のなかで発言権をもった人がいたが、捕虜生活へと環境が平凡になるにつれ、その資質が生かされず、発言権を失ってしまう人がいた。
そしてその逆に、戦時こそ目立たずとも、捕虜生活でその能力を集団のために発揮し、発言力を増す人もいた。)p198
「人間の才能にはいろいろな型があるのだろう。その才能を発揮させる条件はまた種々あるのだろう。ところが、現在のわれわれの社会が、発掘し、発揮させる才能は、ごく限られたものにすぎないのではないだろうか。多くの人は、才能があっても、それを発揮できる機会を持ち得ず、才能を埋もれされたまま死んでゆくのであろう。人間の価値など、その人がその時代に適応的だったかどうかだけにすぎないのではないか。」p212