オリガ・モリソヴナの反語法

オリガ・モリソヴナの反語法
米原万里 2002 集英社

内容(「BOOK」データベースより)

1960年、チェコプラハソビエト学校に入った志摩は、舞踊教師オリガ・モリソヴナに魅了された。老女だが踊りは天才的。彼女が濁声で「美の極致!」と叫んだら、それは強烈な罵倒。だが、その行動には謎も多かった。あれから30数年、翻訳者となった志摩はモスクワに赴きオリガの半生を辿る。苛酷なスターリン時代を、伝説の踊子はどう生き抜いたのか。

感想

○上記の「内容」にまとめられているように、話題の中心に位置する「オリガ・モリソヴナ」は特異で魅力的な人物として語られる。踊りは天才的にうまいし、踊りだけでなくその指導も一流。口は非常に悪く(「去勢豚はメス豚に乗っかってから考える」なんていつか使ってみたいね)、また、生徒を非難するときは過剰な過剰なほめ言葉を重ね「反語」的な表現を駆使するなど、特異な言葉遣いだが、その本質にある情熱で、生徒をぐいぐいひっぱていく。服装も、いつも古風ながら派手にばっちりきめている。

そんな変人かつ魅力的な人物の謎を解き明かしていく、というミステリー仕立ての構成をとった本である。

思わず引き込まれながら読んだ。まあ、魅力的な人物を描き、その魅力につながる謎を少しずつ解明していくって、夏目漱石の「こころ」しかり、絶対におもしろいよね。こりゃ魅力的な人物を描けたら勝ちだと思う。鉄板の構成だと思う。

○本書は、オリガ・モリソヴナの人生を解き明かしていくうえで浮かび上がってくる、旧ソ連の残酷な一面とそれを生き抜いた人々が一つテーマとして描かれている。

あくまで本書は「物語」であり、その点は留意する必要があろうが、本書の末尾にはソ連時代の粛正に関する大量の参考文献が記載されており、本書で描かれる権力闘争と、それともなう粛正の話は、史実をもとに組み立てているようだ。

○本書に描かれるソ連の粛正ぶりは苛烈であった。
ろくな根拠なく大量の人物を処刑し、また極めて劣悪な収容所におしこめる。しかも、容疑者本人だけでなく近しい人物をまとめてである。その非人道性には目を覆わんばかり。

しかしその一方で、被害者には申し訳ないだろうが、その官僚主義的というか、律儀な面がかいま見えてなんだか、その非人道性とのちぐはぐさに、ふと笑ってしまった。

容疑者や敵対する権力に関わる人物をこっそり抹殺するというよりも、一応はきちんと手続きをふみ、処罰の内容をきちんと伝えたり、あげくの果てには署名までさせている。
こんな生真面目な組織が大量粛正をやってのけたのだ。
その官吏たちは何か疑問をもたなかったのか?、あるいは疑問をもっていたのか?
さらにいうと、手続きの生真面目さ、粛正の苛烈な内容に不釣り合いなそのくそ真面目な姿勢は、官吏たちの、自らの仕事に対する考えに何らかの影響を与えたか?、それとも特段影響を与えなかったのか?

以上のことを、本書を読んでいて気になったのだ。

参考になったネット上の書評

(『オリガ・モリソヴナの反語法』 http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/morisovna.html)

 夢を実現できなかったとき、はたしてそのために費やしてきた時間や金銭は、まったくの無駄となってしまうのだろうか。弘世志摩のロシア旅行は、たしかにオリガ・モリソヴナの謎を追うという目的ゆえのものだったかもしれないが、彼女の歩んだ過去を調べていくという行為は、そのままかつての夢だった踊りと向き合うことへとつながっていく。夢をあきらめ、ロシア語の翻訳を仕事に選んだ弘世志摩は、それまでできるだけ舞踊から目をそむけるような日々を過ごしていた。だが、かつてのクラスメイトと再会し、さまざまな人たちの協力を得て少しずつあきらかになっていく、時代に翻弄されたひとりのダンサーの生き様は、彼女にとっての踊りに対する再評価をうながさずにはいられないものである。そんな彼女にとって、多くの人たちにとっての悲劇だった強制収容所の体験そのものは、リアルに想像するのは難しいことかもしれないが、そんな地獄のような生活のなかで、唯一の希望が住む場所でも食べ物でもなく、「寓話」――仮想の物語の力だったというエピソードが、どれほど大きな意味をもつことになるのか、それこそ想像に難くはない。

 オリガ・モリソヴナの人柄を示すエピソードのひとつにすぎないと思っていたことが、じつは謎の核心をつく重要な要素を隠していたりといった、ミステリーとしての醍醐味もあり、何より何かひとつのことに懸命になって打ち込んでいく人たち、絶望のどん底にあってなお希望を失わずに生きていこうとする人たちの力強さにも満ちている本書は、たとえ夢が夢でなくなったとしても、そのため費やした努力はけっして無意味ではないということを教えてくれる。どんな大きな悲劇も乗り越え、権力の暴力にけっして屈しないという生き方を、反語法のなかに込めたオリガ・モリソヴナ――その人生は、弘世志摩だけでなく本書を読む多くの読者にとっても大きな救いとなってくれるに違いない。