心脳コントロール社会

心脳コントロール社会
小森 陽一 2006 筑摩書房

内容、折口より

それと気づかれないまま、人を特定の方向に誘導するマインド・マネジメント。脳科学の知見を取り入れた「心脳マーケティング」に基づくこの手法は、今や商品広告のみならず、政治の世界でも使われている。マス・メディアを通してなされるこの種の「心脳」操作は、問題を「快」か「不快」かの二者択一に単純化し、人を思考停止へと追い込む。「テロとの戦い」を叫ぶ米ブッシュ政権も、「改革」を旗印とする小泉政権も、この手法を用いて世論を動かした。その仕組みを明らかにし、「心脳」操作に騙されないための手立てを提示する。

感想

人間は生活し、判断していくうえで、無意識の領域が働いていることが多いという。人間の認知・認識、価値観の大部分は意識されない。進化の過程としてはより早い段階で形成された脳の構造に依存しているという。
「言葉を変えたり」、「大衆化された社会的集合記憶に働きかけること」で、無意識的に多くの人間の行動をある方向に向けることが可能だそうだ。例えば無意識的に何かを欲しくさせたり、無意識的に何かに好印象をもたせたり、無意識的にものを買わせたり。といった議論を、ジェラルド・ザルトマンの本から紹介している。

全くその通りだと思う。私たち消費者が無意識に働きかける高度な広告戦略の対象となっていることは、十分、理解しておくべきだろう。ザルトマンの分析を紹介している部分はとても参考になった。
しかしもっとも、著者がザルトマンの分析の上にどんな新しい知識を積み上げたのかよく分からなかった。

 筆者は、「無意識に働きかける広告イメージ戦略」を否定する。姑息だ、ダメだ、と。
 この主張は良くわかる。僕もそう思う。本書には「なぜ? と理由を問うことが大切」とか、「善か悪かといった、単純な二項対立には注意しよう」と主張している。

「無意識に働きかける広告」は卑怯だと筆者は主張するのだが、一方でこんな疑問を持った。「無意識に働きかける広告イメージ戦略」を社会的に規制できるだろうか? そもそも「無意識に働きかける広告イメージ戦略」がきちんと定義できるだろうか? 多かれ少なかれ全ての広告は「無意識に働きかける」ようできているのではないか?
私たちにできるのは「無意識に働きかける広告イメージ戦略」の欺瞞を暴き、自分の頭で判断するよう注意するのみだろう。(姑息だ)で議論を終わらせるのではなく、「無意識に働きかける広告イメージ戦略」については、清濁併せのんでもっと深くて生産的な議論ができそうだと思う。

○筆者は「無意識に働きかける広告イメージ戦略」は姑息であり、無意識に働きかける広告イメージ戦略によって「主張されていること」まで否定する論陣を張っている。ここが強引だ。「主張されていること」まで間違いであるというのなら、なぜ間違いか論証が必要だろう。本書にはそれが欠けている。だから強引だ。

例えば、ジュニアの方のブッシュ大統領は、経済的な負担を嫌い京都議定書から抜け出すため、「地球温暖化」という表現を「気候変動」という言葉すりかえ、広めていったという話が紹介されている。ここで著者は、このすり替えを批判するが、なぜ「地球温暖化」が正しく、「気候変動」が間違っているのか、きちんと論証しない。ただすり替えたことを批判しているのである。

しかし、これがいい例のように、言葉というものが客観的な見方を表す場合はほとんどない。ある言葉を使うということは、その裏にある視点、価値を容認しているということだ。
すり替えを批判するにしても、どの言葉が「正しい」かというのはしっかりと論証され説明されなければならない。ニーチェがいうように、社会は政治は、どの言葉を使うか、つまりどの価値観に基づくかをあらそう、ゲームなのだから。

○筆者は「官か民か」といった単純な図式を批判する。しかし著者自身、「無意識に働きかける広告イメージ戦略は善か悪か」という単純な図式にはまっている。議論が浅い。

○なぜ? と理由を問うことが大切と主張する。大賛成。しかしその例。
「なぜ日本人はテロにおびえているの?
→小泉がブッシュに追従したから」
こんな幼稚な議論しかできないなんて、クオリティが低すぎる。

メモ

ブッシュが自身の利益誘導のために行った言葉の言いかえ。
地球温暖化 → 気候変動
遺産税   → 死税