少年リンチ殺人 「ムカつくから、やっただけ」

少年リンチ殺人 「ムカつくから、やっただけ」
日垣 隆 1999 講談社

内容(「BOOK」データベースより)

集団暴行を受けて息子を殺された両親が、無念さを乗り越えて真相究明に立ち上がった。「少年法」という聖域。加害者の人権ばかりが強調される矛盾した現状を鋭くえぐるノンフィクション。

感想

1994年、長野県で少年2人を、8人の少年が集団で暴行を加え、1人が死亡するという事件が起きた。
本書はそのルポルタージュである。

集団リンチにいたる詳細な経緯から、暴行の内実、犯罪少年それぞれの家庭環境、反省文の内容、犯罪少年がうけたわずかな罰、犯罪少年の保護者の対応、被害者遺族が理不尽な現実に苦しむ様子などなど、「少年リンチ殺人」にかかわる諸問題を精緻に、克明に追っている。そのエネルギーたるやすさまじい。
しかし本書を読み終わって思った。そこまでしてやっと、私たちはこの事件に手をかけ論じることができるのだ。
暴行の内実はひどく残酷で、とても精読できない。僕は流し読みせざるを得なかった。加害者たちは殺人の隠匿を試み、彼らの稚拙な反省文からは何が問題なのか理解できていないことがはっきりわかる。人間の中には、ここまで愚かで残酷でクズな個体もいるのか。
この本は現実をつきつけている。衝撃的な、そして日本のどこでも一定の頻度で起きるおぞましい現実をつきつけている。

罪を犯した少年の更生を目的とした少年法により、加害者の名前はもちろん、事件のあらましは世間に公表されることはないそうだ。被害者遺族にすら詳細は隠されるという。明確な殺意がない限り、例え被害者が死んでしまったとしても、傷害致死として処理され、マスメディアに大きく取り上げられることもないそうだ。
しかし、民事訴訟を起こすことにより、供述調書をはじめ、加害少年の書いた反省文などを公の場に引き出すことができたという。

本書は少年法の問題点を次のように指摘している。
(1、軽微な犯罪と凶悪犯罪を区別せず同一視し、犯罪者の人権を高らかにうたう一方、被害者の生命と遺族の人権が無視されている。
2、秘密主義で犯罪事実が被害者遺族はもとより、加害少年の保護者にすら伝えられておらず、更生がままならないこと。)p15
この残虐で、加害少年の全く反省していない事件を読めば、著者の主張に説得力を感じざるを得ない。

困難な取材を重ね、闇に隠されかねない殺人事件をこれだけ形にし、凄惨な現実をつきつけた本書にはただただ脱帽するほかない。
だれもが被害者になりうるし、因果によっては自分が、あるいは自分の子供が加害者になるかもしれない。
投げ出しそうになりながらも本書を読み切ったのは、そういう思いが生じたからである。他の読者もきっとそうだろう。
まずは現実を知ること。何をするにも、まずはそこから始まると思うのだ。

メモ

「私は、動揺していたのだ。たまたまこの事件を私は知らなかったというよりもむしろ、このような事件は実は頻繁に起きているのに一般には知らされない仕組みになっているのではないか」p229