あの金で何が買えたか―バブル・ファンタジー

あの金で何が買えたか―バブル・ファンタジー
村上 龍(著),はまの ゆか(絵) 1999 小学館

内容(「BOOK」データベースより)

この絵本は「知る」ためのものである。十億円という金はいったいどのくらいの価値があるのか。十億円あれば何が買えるのか。百億円、一千億円、一兆円、十兆円、百兆円だったらどうか。毎日毎晩新聞で目にし、ニュースで読み上げられるそういった数字を実感としてイメージできるようにという目的で、この絵本は制作された。

感想

 90年代前半、バブル崩壊により、土地や住宅価格が暴落した。無謀な投資をしていた多くの金融機関や企業(主に土建屋)が、莫大な不良債権や債務を抱え込むことになる。
 彼らを助けるため、多額の公的資金という名の税金が注入されたが、その金額の大きさゆえに、私たちはその額の大きさを容易に理解することはできない。数千億円。高すぎて見えない壁である。庶民にとってそれは身近な数字ではなく、もはや何の意味も生まない記号にも思えてくる。
 大手金融機関のたった一社に投入された税金で、ワシントンポストが買えたり、あるいは途上国に教育を提供できたり、あるいはアップル(今はさすがに無理かな)が買えたりする、と聞くと、いろいろ考えてしまう。まあ、資本主義システムを混乱なく維持するために必要だったのだろうけれど、それは単純に将来のツケになるだけにとどまらず、税金によって延命されたゾンビ企業は日本の競争力を奪いかねない。そもそも、時間あたりの価値が低くて、彼らは「死ぬはずだった」のだから。税金で無理矢理生き返らせて、健康になるのは難しかろう。
 本書は、投入された税金の大きさが身体感覚をもって理解できるよう、その代わりに身近なものの何が買えたのか、ということを表したものである。大切なのは「知る」ことだという。本書はそのためにつくられたのだそうだ。目に見えない記号を目に見えるモノに代えた本。

 本書で、植草一秀は、(日本の金融問題の処理は、パニック防止一辺倒で、バブルに踊った個人や企業の責任が問われていない。諸外国では徹底的に追及されている)と指摘している。大賛成だ。これだけの税金が拠出された金融機関を初めとする多くの企業が高給を取っているのは理解できない。

 この問題は、先の東日本大震災をきっかけに、福島第一原子力発電所で極めて重要な放射性物質漏洩事件を起こしている東京電力にも言えるだろう。
 国による救済もありえないし、安易な電気料金への転嫁も認めるべきではない。ましては、他の地域にまでその負担をかぶせようという動きは絶対に許容できない。まずは、たくさんいる責任者をきちっと洗い出し、責任を問うていくこと。それが今後、このようなずさんな事件を防ぐシステムとなるだろう。

メモ

(システムは完全ではない。ある組織を潰せば、システム自体が潰れてしまう、ということで巨悪も生き延びてしまうことがある。それらは既得権を持ち旧来のシステムに庇護されている。
これを改善していくには、まず「知る」こと。)p7
「とりあえず何よりも大事なのは、「知る」ことだ。そして、得た知識を、トップダウン型ではない解放系のネットワークで共有すること。」p9