二十歳の原点

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二十歳の原点
高野 悦子 原著S46 新潮社

内容(「BOOK」データベースより)

本書は1970年代に若者たちの間でベストセラーとなった高野悦子著『二十歳の原点』三部作の『二十歳の原点』新装版です。二十歳と6か月で、その生涯を自ら閉じた著者が最後に過ごした半年間を克明に綴った日記です。

感想

たまらない孤独感。

理由は分からないけれど、「何か」が満たされていない感覚。満たそうとしても、その「何か」が分からない。
空虚は、自身を「空虚」と定義し、己を満たすものを求めてもがく。そして、さまよう。
彼女がふと想起するのは「死」。死への甘美な欲求。
それらが、身に迫る緊迫感と天性の詩的センスをもってぶつけられている。
大学紛争時の若者の生活も垣間見えておもしろい。

彼女が列車に飛び込むことなく、生き長らえていたら、どのような「言葉」を紡いだだろうか。素直にそう思う。

メモ

「 未熟であること。
 人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。ここの人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。
 人間は誰でも、独りで生きなければならないと同時に、みんなと生きなければならない。私は「みんなと生きる」ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう。」p7

「「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。
」p13

「 人間というものは不思議な怪物だ。恐ろしい怪物だ。愛したかと思うと怒って私を圧迫したりして私を恐怖に追いこむ。何とも訳のわからぬ怪物の前で、私はちぢこまり恐れおののいている。何のなす術も知らず、ビクビクしながら。彼等のもつ不平不満は、演技者としての私のまずさにあるのではなく、要請された役割の中にあるのだ」p15

「こうなったらもうあとへ引けないのだなあ
きのう雪が降った
はちきれんばかりの白い粒片が
風に酔ってはしゃぎまわっていた
純白の幼き若き子供達よ
ぶつかりあい飛びちり一心に舞うおまえよ

めちゃくちゃ、無責任に気のむくまま誰かと話してみたいのです。」p38

「 青春を失うと人間は死ぬ。だらだらと惰性で生きていることはない。三十歳になったら自殺を考えてみよう。だが、あと十年生きたとて何になるのか。今の、何の激しさも、情熱ももっていない状態で生きたとてそれが何なのか。とにかく動くことが必要なのだろうが、けれどもどのように動けばよいのか。独りであることが逃れることのできない宿命ならば、己れという個体の完成に向かって、ただ歩まねばならぬ。「己れという個体の完成」とは何と抽象的な言葉であることか。悦子よ。おまえには詩も、小説も、自然も山もあるではないか。」p91

「旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨が良い
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう

原始林の暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小船をうかべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう

小船の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう
そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう」p197