近代書き言葉はこうしてできた

近代書き言葉はこうしてできた
田中 牧郎 2013 岩波

内容、出版者ウェブサイトより

1895年,多彩なジャンル,一流の執筆陣で創刊され,日本社会の近代化に大きな影響を与えた総合雑誌『太陽』.大正期までの『太陽』をデータベース化し,生き物のように変化しゆく言葉の様相を,最新の手法で映し出して行く.言文一致,新語の誕生と廃れ,似た意味を持つ言葉の縄張り争いの過程が,つぶさに明らかになる.

感想

○明治後期から大正期にかけて出版された総合雑誌「太陽」をデータベース化し、当時の書き言葉の実態を研究できるデータ群を国立国語研究所は作成。それに基づいて、計量的・実証的に「近代書き言葉」の成立過程と現代書き言葉への流れの一端を分析した本。

特に、文末表現と語句の意味内容の変遷を追っている。

数字とともに具体例も示しており、しっかりとした根拠に基づいて議論を進めている。

語句の意味変化を分析している部分があるが、科学的な根拠に基づいて、こういうことを論じてきた人はほとんどいないのではないか? なにしろデータ分析する技術と、ある一定数以上のデータがそろわなければ、数字という明確な根拠を提示することは不可能だからだ。

○データベースに基づく筆者の分析は古文にも応用できるのではないかと感じた。
古文辞書でも、意味の変化を抑えてはいるが、それを数値で示せばより説得力を増すし、あるいはこれまでの学者が気づかなかった意外な事実が浮かび上がるかも知れない。

○文語から、今私たちが使っている口語書き言葉へと移り変わっていく、まさにその時期の日本語の有り様の一端を明らかにしたものとして、本書は貴重な分析だ。

○本書では、「太陽」の創刊号に掲載された言語学者上田和年の「国語研究に就て」という論説文が例文として紹介されていた。

「種々の科学の補助を仰ぎて、此国語の「ミガキアゲ」に尽力し、かくしてただに日本全国に通じての言語をつくりだすのみか、苟も東洋の学術政治商業等に関わる人々は、朝鮮人となく支那人となく、欧州人となく米国人となく、誰でも知らんではならぬといふ、言わば問うよう全体の普遍語というべき者をも、つくり出そうという大決心をもつ者でありまする。」

この、世界に目を向けた日本語改革への視線。
正直、うらやましい。
日本は第二次世界大戦で敗北し、その結果、日本語は多くの話者を有するも、日本という一部の地域でしか使われない地域語に過ぎないことを余儀なくされた。

だが、1895年においては、日本が東洋の中心としてリーダーシップを発揮するとともに、世界に伍して通用する「日本語」をつくっていこうという「目標」があったのだ。そして敗戦までは、東洋の一大帝国として植民地を広げるとともに言文一致運動も進み、その目標を達成しうる道を順調に歩んでいたのだ。
もちろんその一方では、他国の言語を抑圧するという悲劇もあったわけだが、当時は争いの世。
そうすることで、英語やスペイン語ポルトガル語は多くの話者を獲得するとともに、多くの地域で通用する言語となっていった。

1895年の日本においてもその「目標」があったんだなあ。「目標」を抱けたんだなあ、としみじみ思わされた。

メモ

○「文字」や「表記」の変化は国の改革による側面が強い。その一方、「文法」や「語彙」は国による強力な改革は行われず、「太陽」の文章で辿ることのできる変化の流れの延長に、現代書き言葉のそれがある、とみることができる。

○日本語の書き言葉における3つの大きな出来事。
1.漢字の伝来とそれによる日本語表記
2.仮名の創出とそれによる和文、和漢混淆文の発展
3.言文一致運動とそれによる誰でも読み書きできる書き言葉の誕生

○創刊年(1985)の「太陽」はほとんど文語。口語はまだまだ少ない。
言文一致運動から約10年経っているが、その小説もほとんど文語

なおその口語記事の半数以上が演説に基づいたもの。
「太陽」の演説文の特徴 → 句読点の使用(文を切る意識)
            → 敬体が多い。

また、聞き手への配慮や働きかけが表現されているところは敬体が、内容に自らの思いが込められる部分は常体が選択されているという大まかな使い分けもみられる。

○敬体の口語文の文末表現の変化
「〜でございます」 → 「〜であります」 → 「〜です」

○常体の口語文の文末表現の変化
当初は「〜である」
1909年以降、「〜だ」が増えてくる。

○文末表現にうかがえる文語体から口語体への移行は、大正末期にほぼ完了。

○書き言葉が文語から口語へ変わるといっても、話し言葉の言い方にそっくり入れ替わるというものではない。
(skycommu補足:以上の指摘は実に当然のことであるが、本書はそれをデータベースを用いることで個々の単語について分析し論究している点がおもしろいし、すごい)

○文語助動詞(「なり」「たり」、「たり」「り」「き」「ぬ」など)の減少速度はゆっくり。
逆に口語助動詞(「だ」、「た」など)の増加速度は急。

○昭和後期から大正にかけて、和語の使用が増え、逆に漢語の使用が減少。この傾向は昭和中期まで続く。

そこから現代語彙は和語の比率が減少し、外来語の比率が増加。

○新語も死語も、漢語が多く和語は少ない。漢語は変動が大きく、和語は安定している、といえる。

○よく使われる語、ほとんど使われない語には和語が多くなり、逆にその中間には漢語が多くなる、という傾向。
(全体的には漢語の方が多い)

○一般的に使われるようになっていく漢語をみていくと、
特定のジャンルのみで使われる専門的な語だったものが、次第にジャンルに関わりなく使われるようになっていく、という例が見出される。
例:「展開」「阻止」「向上」など

○一般的に使われるようになっていく漢語の特徴
→似た意味の和語と同じように、その意味が変化したり、
あるいは和語にはない意味領域を補うように変化したり、
あるいは似た意味の漢語と意味が差異化している。

ここから、一般的に使われるようになっていく漢語は、語彙のネットワークに組み込まれ、既存の語との間に新しい網の目を形成し、自らの縄張りを作り上げている。使うのに、必然性のある漢語が一般化しうる。

○文章を集めデータベース化し、学術的な利用ができるように語彙情報を付したコーパスと呼ばれるものを使うことによって、語彙等の利用頻度を数値化することで全体の流れをつかむことができるとともに、例文を抽出することで個々の細部を分析することもできる。