日本史の謎は「地形」で解ける

日本史の謎は「地形」で解ける
竹村 公太郎 2014 竹村 公太郎

内容、カバー背表紙より

京都が日本の都となったのはなぜか。頼朝が狭く小さな鎌倉に幕府を開いたのはなぜか。関ヶ原勝利後、家康がすぐに江戸に帰ったのはなぜか。日本全国の「地形」を熟知する著者が、歴史の専門家にはない独自の視点で日本史の様々な謎を解き明かす。歴史に対する固定観念がひっくり返る知的興奮と、ミステリーの謎解きのような快感を同時に味わえる1冊。

感想

○地形や気象条件という、歴史研究からはあまり着目されてこなかった視点に焦点をあてることで、歴史を明らかにしていこうという本。
この視点はともすると出来事の序列になってしまう歴史に対し、論理的、合理的な説明が可能で、なかなか愉快で、また優れた視点であるな、と思った。

○勉強になる部分、説得力のある部分がある。その一方で、筆者の妄想が筆ばしっている部分もいくつか目についた。そういうところは論理展開が雑で、根拠がいい加減で、とても読めたものではない。正直なところ総じていって、本書は脇が甘い雑な議論との誹りをまぬがれないだろう。

平安京遷都の話で、敦賀湾から渡来人が上陸してきたことに重きをおいて論を展開している部分がある。これって裏付けのある史実だっけ? あの時代に敦賀湾から大陸と大規模に行き来していたなんて話聞いたこと無いけれど。渡来人の渡日についても、時代も場所も違うし。

○日本史の先行研究をほとんどふまえておらず、その点が非常に残念というか、もったいないと思った。この作業をしていない以上、おもしろい着眼点だが本書の議論は一歩二歩三歩、引いてうけいれざるを得ない。

メモ

○家康が開発する以前の関東平野は、広大な湿地だった。「関東湿地」。ひとたび雨が降れば一帯は何日、何ヶ月もの間、浸水したまま。途方もなく劣悪で使い物にならない土地。家康以降の将軍たちによって、埋め立てや利根川をはじめとする河川のつけかえ、堤防の建設が行われ、乾いていて使いやすい土地になった。

甲州街道(今の新宿通り)が尾根筋であり、その先端の高台に江戸城が築かれた。当初、その先は、海や湿地が広がっていた。甲州街道から江戸城に接続するのが半蔵門。これが正門だったのではないか。その根拠は、尾根筋の先にあったこと、橋ではなく土手が築かれていたこと、地図の表記では手前にあたること。

○「人が最初に踏みしめるのは尾根道である。
 尾根道の左右には何もなく見晴らしが良い。尾根道はどんな豪雨でも浸水しない。尾根道は上から石が落ちてくることもない。道のなかで一番安全なのが尾根道」

平城京が置かれた奈良盆地は、交通の面で考えると大きな河川で他の地域とは結ばれておらず、どん詰まりの土地。
交通の利便の面から平安京に遷都。それにより〈大和川奈良盆地〉にいたる交通のルートが衰退。平安京を軸にした、〈大阪→淀川→京都→滋賀→さらに東国へ〉、と続くルートが交通の主軸として発展。

「交流軸の上の都市は栄え、交流軸から外れた都市は滅びる」

○文明は河川のほとりに誕生。川の大きさに比例して規模を拡大。

河川は流通網であると同時に、その上流の森林はエネルギー源となり、下流沖積平野は水と食料生産の源となっている。

○大阪は広大な土地を獲得できる権力者がいなかったため、東京都比べ緑地が少ない。