ぼおるぺん古事記

とてもおすすめ!!
ぼおるぺん古事記(一)天の巻 (二)地の巻 (三)海の巻
こうの史代 2012〜2013 平凡社

内容、出版者ウェブサイトより

(一巻)驚くほどに愛らしく、自由で、残酷で、わがままな物語――。
日本最古の神話・古事記がロマンあふれる絵物語になってよみがえる!!
人気漫画家・こうの史代が原文(書き下し文)を生かしながら、
物語を「絵」で読み解いていく、まったく新しい古事記本!
第1巻は天地創生、国生み、黄泉の国、天の岩戸、ヤマタノオロチのエピソードなど、盛りだくさんの11話。
イザナキ、イザナミ、アマテラス、スサノオなど有名な神様も続々登場!
「昔からずっと、古事記を絵にしたいと思っていました。
魅力的な登場人物、ストーリーはもちろん、原文の味わいも楽しいですよ!!」

(二巻)日本最古の神話・古事記を「絵」で読み解いていく、大好評コミックスの第二巻!
恋と歌、死と生に彩られたオオクニヌシの冒険がついに始まる!
舞台を出雲に移し、因幡の白莵、根の国訪問、妻問い、国譲りのエピソードまで8話を収録。

(三巻)大好評コミックスがついに完結!
天孫降臨、ニニギの結婚、海幸彦・山幸彦、海神の宮訪問のエピソードなど、神代最後の時代を描く。
短編漫画「おとうと」、神さま大系図も収録。

感想

古事記の神代編をマンガ化したもの。

僕自身、日本神話に詳しい方だとは思うが、神話関係の本の中でもめちゃくちゃおもしろかったし勉強になる本だった。

○本書はその柔らかな筆致でもって、見事に古事記の世界に命を吹き込んでいる。現代の目をもって神話に命を宿らしている。
神話というとどうしても論理に飛躍があったり、よくわからない場面が急に展開するなど、現代人からしたらなかなか理解しにくい世界である。
それがこうして絵にすることで場面転換の急さは同じだが、そうとう理解しやすく頭の中に入ってくる。

○本書の優れているところはたくさんあると思うけれど一つは原文の書き下しを使っていることだろう。
文章だけだとさすがに奈良時代の言葉を読むのはつらいが、マンガとなるとその多くは絵で説明できる。そうして既に絵で表現されたなかで書き下しを織り込んでいるのでその意味もす いすい頭に入ってくる。書き下しを読んでいると、古事記の原文は和語が多用されていることもあり、そもそも神話は「音」によって生まれ支えられた物語だということがよくわかる。
読んでいて気持ちがいいのだ。

また、古い大和言葉がけっこう使われているので、大和言葉大和言葉の関係がふと理解できたりもする(例えば「港」が、「み(水) な(の) と(所)」という和語の構成になってるとかね) 。現代のように本来外来文字である漢字で表記する文章だと、どうしても和語の意味が後ろに隠れ、意味やその関係がつかみにくくなるんだよね。

○日本神話といえばアニミズムそのものということで、八百万の神々。いろいろなものに神は宿り、そしてたくさんの神々が出てくる。

本書は八百万の神々を、その神々に込められた祈りをもとに上手にデザインしており、古代人の価値観や祈りがみえてくる。
例えば天皇の祖先神であるアマテラスはその名の通り「太陽」に対する祈りが込められた神であるが、本書でも太陽をモチーフにデザインされている。またその御子たちの名前は「稲」をおっており、それをふまえて稲をとりいれてデザインされていた。

古代人がどういうものに関心を持ち、その関心を持ったものをどのように位置づけて、あるいは似たものと考え、世界観を構築していたか。それは神々の関係をみていくことで、浮かび上がってくる。

○と、まあ、本書の利点を述べてきたが、僕が一番驚いたというか心惹かれたのが、本マンガに差し込まれたちょっとしたコマだった。それは古事記をさっと読むだけでは気づかない、弱者への視点とか失った尊いものを思い起こさせるもので、古事記という神話に奥行きを与えるものだった。
そうして物語の読みを深め、その古事記の可能性を広げることができている。

細部は神に宿る。あらためて思った。

特に僕が感動したコマが二つある。

・一つはイザナギイザナミがケンカ別れをするシーン。
イザナギイザナミは夫婦で、セックスによって日本の国土を生んだ神々である。語源も「誘う」からきており、男女の愛やセックス、生殖を神聖化した神だろう。
そんな二人であるが、あるときイザナミは死に、黄泉の国へ行ってしまう。イザナギイザナミに会おうとするが、そこでイザナミの腐った醜い姿を見てしまう。
この場面は追葬を前提とした横穴式石室を反映した描写ではないかとよくいわれる。追葬の間が短ければ、前に葬られた死体が腐っているところで、蛆がわいたり強烈な悪臭をはなったおぞましい状態で残ってるよね、ということ。
さて、怒ったイザナミイザナギを追いかけるも、死者の世界と生者の世界の境目を、イザナギによって岩でふさがれてしまう。その岩を挟んで対峙する二人。イザナミは悔しさから『毎日1000人殺してやる』と言い、一方、イザナギは『それなら毎日1500人産もう』なんて、言い合う。
このシーンは人間が死ぬ説明譚となっていることでも有名だ。
とかくイザナギイザナミはこうして最後までケンカ別れをしてしまうわけだが、その一つ前に、かつて二人が手をとりあって愛を契ったコマを挟んでるんだよね。

↓左上のコマ

一方は腐った状態で追いかけ、もう一方はそれから必死に逃げる。そして罵り合ってたぶん永久の別れ。こんな二人にも、いやこんな二人こそ、日本神話においてまさに「男女の愛」を照射された神だったのだ。この落差の大きいこと。
こうして激しいケンカ別れをする、その一歩前に二人が愛し合っていたことを読み手に思い出させる。このコマによって二神の別れはぐっと重みのあるものになっているのだ。

・もう一つはオオクニヌシが、スサノヲの娘、スセリビメを奪っていく場面。
オオクニヌシ出雲神話の主人公の一人であるが、そんなオオクニヌシはスサノヲの無理難題をスセリビメの協力もあってなんとか突破し、みごとスセリビメをスサノヲから奪っていくのに成功する。
この話はオオクニヌシが、スサノヲの要求を乗り越えていった成長譚、あるいはオオクニヌシの偉大さを示すものともいえる。また、見方によってはそれはスセリビメの協力によってこそ窮地を脱していることから、女に援助されて大成する男という視点に着目する意見もある。さらに、スサノヲというこれまた主人公級の天つ神の系譜が、国つ神の主人公級の神であるオオクニヌシに引き継がれていったことを示した場面でもある。いずれにせよ、超重要場面である。
さて、この場面、普通はどうしてもオオクニヌシに焦点があたりがちだ。そりゃそうだろう、困難を乗り越えて、すごい神を出し抜いて、その娘をゲットしたのだから。
しかし本マンガはこの場面の最後に、背を丸めてとぼとぼと帰って行くスサノヲを描いたコマを置いているのだ。娘を奪われて落胆したスサノヲを描いているのだ。

そう、僕は恥ずかしながら、本書を読むまでオオクニヌシに焦点を当てるばかりで、娘を奪われたスサノヲに気づけなかった。父の悲しみを、スサノヲの悲しみを気づけなかったのだ。

まさに本マンガはするどい目をもって古事記という物語に新しい光を当てている。新しい命を宿している。物語の世界を広げている。より豊かにしている。
本当に本当にすばらしいマンガだった!