殴り合う貴族たち

殴り合う貴族たち
繁田信一 初版2005 角川

内容、カバー裏面より

素行の悪い光源氏たち!?光源氏のモデルの一人となった藤原道長は、官人採用試験の不正を強要、従者に命じて祗園御霊会を台なしにし、寺院建立のために平安京を壊した。これは道長だけの話ではない。優雅なはずの王朝貴族たちは、頻繁に暴行事件を起こす危ない人々でもあったのだ。「賢人右府」と呼ばれ、紫式部も尊敬した小野宮実資の日記を通して、『源氏物語』には描かれなかった王朝貴族たちの素顔を浮き彫りにした。

感想

・内容は上記の通り。主として「小右記」により、上級貴族たち、あるいは彼らをとりまく従者たちのおこした暴力事件を列記している。さまざまな場所での殴る蹴るや打ち壊し、投石といった暴力事件。多々読むにつけうんざりしてくる。もっとも、そういうやからを実資は「不善の者」と読んでおり、高級貴族たちのほとんどが傍若無人で暴力的だったとはいえないだろう。そういう例が普通であれば、いちいち「不善」という定義づけをして非難しないからだ。
本書の事例でいくと、藤原道長という最高級の権力者につながる人物が暴力事件を多数引き起こしているように見える。自分の背後にある権力に増長し、おごり高ぶった彼らと、それをとめられない貴族社会システムがかいまみえる。

・ちなみに貴族といえば、従者を働かせる。自分では何もしない、という印象が私はつよかった。平安装束の着付けをみれば、あれは従者が着せることを前提にできたものだ。一事が万事、他のこともかねがねそうであり、自分で動かないことにより軟弱な貴族が多いのかなあ、というのがイメージであった。しかし本書で列記される暴力沙汰をみていると、どうにも攻撃的な人物もおり、力、それこそシンプルな力にたよっているようだった。貴族の体力や体格はどんな感じだったのか興味を覚えた。

・なお、暴力事件の例から、最上級貴族の邸宅の門前は貴族であれ牛車や馬を降りて通らなければならない、という礼儀があった、という推測を本書はしている。おもしろい風習である。

・本書は、高校教育段階ではほぼふれられない、平安時代の貴族社会のある一面をあきらかにしている。しかも豊富な証拠を列記しているので説得力がある。この部分は本書の価値だろう。
しかし、議論の水準がここまでなのだ。古典で描かれた、優雅なはずの皇族や高級貴族、その従者たちがたくさんの暴力事件(なかには集団リンチも!)を起こしている。その事実はその事実で意外性があっておもしろい。しかしだからなんだというのだ。権力者やその取り巻きが好き勝手している。しかも近代的な価値観のない、中世の話である。別に不思議でも何でもあるまい。
本書はここから議論を進めるべきだ。研究を深めるべきだ。暴力事件を起こすのはどんな貴族なのか? どんなときに暴力事件は起きやすいのか? 暴力事件に対して貴族社会はどんな反応をしたのか? 一般民衆はどんな考えをもっていたのか? 貴族とその従者たちはどんな関係で結ばれていたのか? 暴力事件の頻度はどうなのか? 本当に暴力事件は多かったといえるのか? エトセトラエトセトラ

研究すべき問題はいくらもある。本書は暴力の事例を並べたてまつるだけでなく、少しでも貴族社会の考察を進めるべきだったと思う。最低でも見通しを示してほしかった。
以上の点で、もの足りない本である。

メモ

(貴族の邸宅に踏みこんだ検非違使の下部たちが、貴族の従者に袋だたきにされた事件をうけて)「王朝貴族の従者たちというのは、主人の権威を傷つけようとする者に対しては、容赦のない行動をとるものだったのである。
 従者たちにしてみれば、自分の主人の権威というのは、高ければ高いほどよかったはずだ。主人の意向を嵩にきるというのが、従者たちの常だったからである。主人の威光が大きければ、その分、従者たちも世間で大きく幅を利かすことができたというわけだ。」p233