GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン 普及版

GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン 普及版
ディミトリー・ボリア(撮) 杉田米行(編) 2008 アーカイブス出版

感想

GHQに雇われた、とあるカメラマンの撮った写真を集めた本。急速に復興していくトウキョウの様子と、なにより一般の市井の人々のおさめられた写真が多数あって、それがいい。
子供の様子、行商や農業、漁業に従事している人々の様子。アメリカにはない、(そして今の日本にはない)、服装。調度品。仕事道具。仕事の作法。
写真を見ていると、日本の風俗をおもしろく、愛しく思えてくる。
そしてなんだか、撮影者のディミトリー・ボリア氏と読み手である自分の意識がじんわりと重なるような気がしてくる。
〈ほら、日本の人々の生活、アメリカと違っていておもしろいんだぜ〉という意識から向けられたボリア氏のカメラアイと、自分のアイが重なるのである。

○写真に写っている終戦後数年の人々は結構、服が汚れていて、それが印象的だった。
まあ、現代社会がきれいすぎるのだろう。それまでは普通の人は、服が汚れているのが当たり前だったことを再認識できた。年がら年中洗濯できるのはごく最近のことなんだ。

○幼児を背負いながら遊んでいる子供の写真が多かった。これも、今では失われた風景である。

○写真がいやに鮮やか。相当加工しているのではないか。たがために、リアリティというよりファンタジーな印象を受ける。

○表紙の写真は満面の、こぼれんばかりの笑みを浮かべた昭和天皇皇后、両陛下。この写真を表紙にもってくるのはさすがに作為的でいやらしいと感じた。フェアじゃない。
GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン」という名前の本書の表紙にその写真をもってきているのだ。これを表紙に選んだ人間は、GHQの占領を万々歳、満面の笑みをもって肯定しうるものとでも思っているのだろうか。

そうではなくGHQの占領を多角的に捉えつつ、かつ天皇皇后両陛下の笑顔の写真がインパクトがあるので表紙に使いたいと判断するのなら、裏表紙に米軍の兵士に犯されて倦んだ表情をしている若い一般民衆の女性の写真でも載せるべきろう。そうすれば多少は米国による占領の二面性がおさえられる。

もっともそういう写真を撮れていればね、GHQの専属カメラマンが。