ジャーナリズム崩壊
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ジャーナリズム崩壊
上杉 隆 2008 幻冬舎
内容、背表紙より
日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論。
感想
マスメディアの問題を考える上で非常に重要な問題提起をしている本。著者の上杉氏は、問題提起をするだけでなく、現状を変えようと、様々な場で発言し、行動するなど、実践の人でもある。僕が強く応援している人の一人だ。
さて、本書の主張をざっくりまとめようとしたが、アマゾンの書評でよくまとめているのを目にし、自分でやっても同じようになるだけだと思ったので、以下引用したい。
主な論点は次のとおり。
(1) 日本の新聞記者は欧米の通信社的な仕事しかしていない。すなわち、事実を伝えるストレート・ニュースの取材にとどまっており、論説記事が書けない。
(2) 新聞・NHKは権力に寄り添っている。個々の記者は、批判記事を書いても評価されず、逆に政治家との関係が悪くなると出世に響くので、批判記事を書かなくなる。
(3) 記者クラブの加盟社は権力に対する批判記事を書かない。一方、記者クラブは非加盟のジャーナリズムの取材を妨害する役割を果たしている。このような閉鎖的な記者クラブ運営が、日本のジャーナリズムの権力への監視機能を阻害している。
(4) 日本のマスコミは誤報を認めようとしない。誤報の原因究明を徹底的に行い、読者に報告するニューヨーク・タイムズと好対照である。
少し補足するなら、
○日本の新聞は引用元を明らかにしない。「一部週刊誌によると」といったかたちで、記事を「盗用」する。読者が情報源を追えるためにも、また、他人の仕事に敬意を示すためにも、引用元は明示すべき。
○マスメディアは人を批判し、論争を飯の種にしているくせに、自分たちへの批判を極度に恐れる。また、反対意見を載せるなどせず、論争・議論の場を提供しない。
本書の主張を読んだ上で、日本の新聞を読むと、そのほとんどが、警察や国、企業の発表にすぎないことが理解できるだろう。
たまに掘り下げてるな、と思ったら、「もっと議論すべきだ」なんて書いてあってがっかりする。その根拠は何? それくらいだったら小学生でも書けるけど。
挙げ句の果てには、「○○が問題になりそうだ」。自分の言葉で書けよ。それに、その根拠は?
メディアの多様化で、購読者の減少が顕著な新聞社が、最近一生懸命、「教育に新聞を!」(NIE)と、かまびすしい。その中身はどうやらメディアリテラシーをすっぽかして、〈読解〉や、〈新聞を真似して記事を書こう〉ってなやつばかりで、正直ぞっとする。まず大切なのは、メディアを批判的に読む態度・能力や、別な意見を考える態度・能力だろう。
今まで週刊誌なんて読むことはなかった。しかし最近たまに読んでみると、確かに低俗だったり、取材や主張やその論理が乱暴だったりする記事がほとんどだが、意外と新しい事実を明らかにしようとしている、と思った。その姿勢は、新聞に比べずっとジャーナリズムである。
ネットがすみずみまで浸透し、個人がブログなどを通して情報発信をできる、そして情報発信する時代になった。情報は前世紀に比べ玉石混合だ。また情報発信は一歩間違うと、自身の身を危険にさらす。
ますますメディアリテラシーを身につけることが重要になった。ますますメディアリテラシーを身につけた人々が増えていくだろう。
日本の新聞社も、試行錯誤している。署名記事も増えた。反対意見も少しは乗るようになった。
新しい時代に応えるマスメディアだけが生き残るだろう。
記者が力をつけるまで、新聞社にはこうすべきだと思う。
まず記者はストレートニュースだけ書くこと。分析したり主張したりしない。なぜならできないから。背伸びしない。記者はストレートニュースしか書く能力がないと割り切る。変な害を撒き散らさない分、記者が分析などしないほうが良い。分析ではなく、とてつもないストレートニュースを取材で明らかにするようがんばろう。
そして、分析や意見の主張は、学者やブログの優れた記事、フリージャーナリストや新聞社の記者でも、渾身を込めて書けるものを載せる。これでいいじゃん。無理してバカが分析する必要はない。専門家や関係者に任せればいい。あるいはくだらないことで管を巻くのではなく、どうしてもその問題に物申したい記者が書くのである。
こうして時間が経てば、新聞社の中にもまともな分析や、ちゃんとした主張ができるものが増えてくるだろう。そうすれば、記事の選択や取材の目も鍛えられるだろう。相乗効果で、新聞はずっと良くなると思う。社会の知識を吸収し利用しながら新聞はずっと良くなるだろう。
そして私たちは、新しい時代に答えるマスメディアだけが生き残る社会を構成する市民を育てるべきだ。