生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ
福岡伸一 2007 講談社

内容(「BOOK」データベースより)

生きているとはどういうことか―謎を解くカギはジグソーパズルにある!?分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色をガラリと変える。

感想

 分子生物学が自己複製の仕組みを明らかにしていく歴史を述べるとともに、自分の研究を紹介しながら生命とは何かについてちょっと考察している。

 分子生物学が自己複製の仕組みを明らかにしていく歴史はなかなかおもしろかった。DNAの構造を発表したことで有名なワトソンやクリックだけでなく、その前段階となる研究成果を積み上げたエイブリーや、重要な研究成果をひっそりと盗み見されたフランクリンの研究成果や人生を紹介している。様々な人生や生き様を描きだそうとしている点は評価できる。

 へえ〜、と思った事実を一つ紹介したい。パラーディという人が明らかにしたことだ。細胞が自分たちの中で合成したタンパク質を分泌する際、直接分泌する危険性を避けている、という。ではどうするかというと、細胞は細胞膜に覆われているが、
①いったん外部をぐぐっと引き込んで細胞内に取り込み小胞体という部位をつくり、(小胞体は細胞膜で覆われている)
②その小胞体に分泌すべきタンパク質を放出し、
③その後再び小胞体は外部と結びつき、結果その中に放出されたタンパク質も外部に放出される。

 生物って不思議だね。月並みな感想だけど。

 筆者は、生物とは自己複製するものであるとともに、「動的平衡」を維持するものであるという主張をしている。どういうことかというと、

「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個別としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。」p163

なぜかというと、
(ネズミで実験したところ、三日間で、ネズミが食事で摂取したアミノ酸の約半数が、タンパク質としてネズミの体の構成要素になっていた。)p159
それと、これは筆者の実験だが、生物の部品の働きを調べるために、特定の部品のない生物を遺伝子操作でつくり出したが、元気に生存できたという。つまりある部品が無くてもそれを補完するシステムが働き、問題が生じないこともあるということだ。

 生物は「動的平衡」である。
まあ、詩的な概念。鎌倉時代の随筆家たちが好みそう。
でも、それって全てのシステムがそうじゃない?
地球環境もそうだよね? 資本主義もそうだよね?
つまり永続的に動くシステムは、結果として「動的平衡」状態にあるといえるのでは? 言い方を変えると、「動的平衡」だからこそ、システムとして存続できたといえるだろう。動的平衡で無い硬直化したシステムは、外部の変更に対応できずいずれ死んでしまう。
 こう考えると、筆者の持ち出す「動的平衡」が生命以外にも転用できるので、生命の本質をどれほどついているのか疑問だ。

 また、ある部品が欠損しても補完されるというのは、そういうこともあると言うだけの話。遺伝子の欠損や部品の欠損から体に重大な影響が出るというのは先天性の障害や病気をみればわかること。著者は、例外を一般化しすぎ。

 結局、本書はへえ〜、と思う部分ももちろんたくさんあったが、「生物と無生物のあいだ」をつかみきれていない、もしくは常識的な線でおちついていると評価する。