人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争

人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争
松木武彦 2001 講談社

人はなぜ戦うのか―考古学からみた戦争 (講談社選書メチエ)

内容(表紙より)

縄文時代にはなかった戦争が、弥生時代、「先進文化」として到来した。食糧をめぐるムラ同士の争いは、いかに組織化され、強大な「軍事力」となるのか。傷ついた人骨・副葬武器・巨大古墳など、膨大な発掘資料をもとに列島の戦いのあとを読み解き、戦争発展のメカニズムに迫る。

感想

○「人はなぜ戦うのか」という深遠なテーマを追求した本ではなく、戦争を回避するため、考古学の成果を元に日本の縄文時代から古墳時代の戦争を中心に読み解き、戦争の様態の一端を明らかにしようとした本。

○日本の軍事戦略や思想の特質について論じている部分がある。しかし、そうかもなあ、と思うところがある一方、他国との比較がほとんどない部分が多く、脇の甘さ、論のつたなさを感じるところもある。
特に、(外敵の侵入が少ないため、仮想敵をつくってまとまろうとする傾向がある)などと批判的に捉えるのならば、他国との比較が必須だろう。比較の結果を提示せず、どうやって何かの特質を論じれる? もちろん、そんなわきゃない。
そうなり得ていない部分は思い込みの羅列にみえるのだ。
今あげた具体例も、いくらでも反論が飛んでこよう。
だって普通は逆でしょ? 外敵の侵入という危険が身に迫っていて、かつ危険を感じるからこそ仮想敵をつくって国がまとまれるし、まとまる必要性が生まれるんでしょ?

○推論が雑に感じられる点がいくつかある。筆者の推論に対し、異論がすぐに思いついてしまうのだ。
考古学的成果から丁寧に推論を積み重ねていくのではなく、もともとあった推論に沿うように考古学的成果を解釈しているように読める部分が散見される。(例えば、朝鮮半島に及ぼした影響、前方後円墳の分布の解釈、武器の分布の解釈など)

○平和を成すには戦争を知ることは必須だ。本書はその一端となると思う。
ただ、まとめの部分では現代日本のような武力による働きかけを排除した平和主義をさらっと標榜しており、そこに現実認識に対する幼稚さを感じた。
日本はここ半世紀平和だったというが、他国が主導権を握る軍事・経済バランスの上で平和だったこと、他国を中心とした多く犠牲の上で保たれた平和だったことを踏まえての指摘だったのだろうか?
平和を追求するため戦争について研究したはずの筆者が、単に軍事力を放棄しただけの(実際はアメリカの軍事力に寄りかかっているし、自衛隊という強力な「実力」を保持しているが)現代日本を、軍事力を持っていない点をもって好ましく評価するなんて、なんの冗談かよ。
本当に戦争の仕組みを研究しているのだろうか?
あるいは軍事力を持たないことが平和につながると思うならそれはそれでもいいが、終わりの方で軽く触れてハイ終わりではなく、現在の日本の状況や他国への影響に焦点をあて、もっともっと軍事力放棄の影響を掘り下げて論ずるべきだ。

メモ

(本書で問題とする戦争は、個人の行為ではなく、社会的な集団が一つの意志と目的をもって行うもの。戦争は、共通の敵を設定し、攻撃意思を統一し、社会の思想や規範のなかにその戦いを意味あるものとして位置づけるための、社会的な操作が必要となる。)p9

「戦争が、どのような要因や操作によって集団間の闘争へと組織化されるのか。いま、戦争の根源を解くための決め手は、そのあたりにあると思う。」p9

(例外もあるが、戦争の痕跡は狩猟採取社会ではなく、農耕社会以降にみられる。
農耕社会で戦争が起こる理由。
1.人口の急激な増加
2.単一の資源に依存するため、環境の変化によって飢餓が生じやすい。
3.耕地の開拓は大きな労働力を投入する必要があり、また食料のみなもとだから、それを守るという意識が強くなる。排他的な防衛意識の誕生。)

(縄文時代に戦争の痕跡はみられない。日本の原住民は、弥生農耕民へと転身をとげていく数世代のうちに、米と一緒に伝わってきた戦争で問題を解決しよう、という思考を取り入れていった。戦争の痕跡も、大陸に近い九州北部から時代を経るにしたがって徐々に広がっている。)

(戦争に至るには、上記にあげたようにまず経済的な理由がある。
もう一つ、それだけでなく戦争が起きるには、戦争を支える意識や思想がある。戦争という状況のかもし出すイデオロギー環境は、人々の認知構造や思考形式、問題解決の方法などに影響を与える。戦争に対する考えや意志決定のメカニズム等を分析することも大切である。)

「国家がもつ武力は、地球上のさまざまなところで、長年にわたって人びとをしいたげ、振り回してきた。だが、その出発点となった古代国家の武力の前身といえる英雄時代の武力は、人びとのあいだから無理やりもぎとられたというよりも、むしろ人びとのコンセンサスによって、有力者すなわち英雄の手元に寄せ集められる側面が強かった」
「このコンセンサスのみなもとには、武力や闘争というものに対するあこがれや畏怖という、人間の心理がひそんでいる」

(両刃の剣はもっぱら相手を突き刺して攻撃する。一方、片方に刃を、もう片方にそりをもって強靱なみねをもった刀は、突き刺すだけでなく、相手を叩き切ることができる。)

(日本の古墳は、ピラミッドや始皇帝陵とちがって、近畿に集中してはいるが、墳丘の長さが200メートルを超えるような大型古墳も、南九州から北関東にいたるまで築かれている。武器に地域差がみられることもある。
   ↓↓このことから以下のことがわかる↓↓
各地にも勢力をはった王たちが林立。ときに共同し合い、武装のスタイルに共通性を目指しながらも、本質としてはみずからの力で自前の武力を生み出し、それを寄せ合う形で連合した。アジア的な専制国家ではなく、おのおの独立した集団の軍事力の連合体。古代ギリシャに近い。)
skycommuのコメント:僕はこの考えをちょっと保留したい。大規模古墳が各地に築かれている点から確かに倭国は中央集権的な国家ではなかったと思う。
しかし、その形式は共通しており、日本列島においてある種の共通した価値観が強力に支配していたことは間違いないと思う。それは王国という形式ではなかったのかもしれない。王国なら各地に古墳をつくらないだろう。それならば、古墳時代日本を席巻していたある価値観とはなにか。古墳という死者という霊的存在の埋葬施設であり、かつ莫大な人的リソースを投入して築造されたものの共通性に着目するならば、それは「宗教」ではないのだろうか。
そしてその宗教に、見方を変えれば列島全域が支配されていたのだ。そして各地に大型古墳がつくられはしたが、それでも近畿のそれは卓越している。近畿の中心性、周辺に対する支配を読むことは十分に可能だ。むしろ前方後円墳という共通の規格の古墳をつくらせること自体が、支配の一様態だったともいえよう。
以上のように、各地方の豪族たちにどれほどの自立性があったのかという問いに答えるのは難しい。
もっと明確な考古学的な成果が明らかになるまで保留しておきたい。

(朝鮮半島の国々との本格的な戦争が行われたのは4世紀後半か。倭国独自でほぼ同様の様式の甲冑や太刀が大量に出土。倭国の甲冑は横長の鉄板を組んでつくった。大量に埋葬された太刀も甲冑も重装備の歩兵武器。
その一方、朝鮮半島の甲冑は鉄板を縦方向に組む。また騎兵に適した矛の出土が多い。
朝鮮半島都の武装の違いが倭人としてのアイデンティティを強化したか。)

(戦争のしかたや戦力配置が攻撃中心で、防御についてあまり考えていない。人的資源の投入や精神論でカバーしようとする傾向がある。)

(古墳や食器の副葬に先がけて、7世紀の中頃には武器や馬具の副葬が急速に廃れる。武装することの意味が宗教の世界から独立し、世俗の事柄になった。)

(日本は外敵との接触が少ないため、武器や戦術は変化に乏しく革新性が低い。逆に保守性が高い。)
skycommuのコメント:僕はこの意見に反対。戦国時代後期や明治維新後など、戦争が多発したり外国から軍事的な圧力を受けると、すさまじいスピードで技術革新をなし得ている(それこそ半世紀で外国に比肩したり圧倒するほど)。戦争が少なければ、技術や制度の革新が進まない、というのは時代時代の特徴としての分析なら全くその通りだと思うが、一国を通しての分析、しかも世界史にもある程度軍事的な面で幾度もインパクトを与えた日本の分析としては、あまりに乱暴だ。

(専制国家や帝国は、社会組織や宗教が違う異民族を力で押さえつけ、取り込むことによって成立している。そのため規模と合理性を備えた公的で集権的な軍事力が発達。
一方、古代日本はその逆だった。)