進化考古学の大冒険
おすすめ!
進化考古学の大冒険
松木 武彦 2009 新潮社
内容、カバー裏面より
地球に生きるヒトの身体の基本設計とは何か?私たちの祖先は縄文時代になぜ土器に美を求め、農耕とともに戦争を始め、紀元後に巨大な古墳を造ろうとしたのか? また、文字の衝撃をどう受けとめたのか? 旧石器時代から古墳時代まで―モノを分析して「ヒトの心の歴史」に迫り、日本人の原像をも問い直す考古学の最先端!
感想
勉強になる本だった。考古学的遺物からヒトの認知やその変化に迫ろうとしており、知的興奮の味わえる本である。
特におもしろいな、と思ったのが、巨大遺跡の変化から認知の変容を説いた部分。
そして、ヒトの心理が発達した基盤を狩猟生活時代とし、戦争を、狩猟の代替となったセックスアピールである、と指摘した部分である。
ここでいうセックスアピールとは、単にメスへの性的アピールを意味するのみではなく、集団なかで必要な存在として認知され尊敬されあがめられる存在としての「強いオス」を意味している。
説得力もあるうえ、人間やその心理そのものの根源に迫ろうとするおもしろい議論だ。
メモ
○生物としてのヒトの特徴。その発展。
・移動速度はけっして速くないが遠くに行くことができる。
・高い空間認識能力。
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この身体的特徴から人類誕生初期は、長距離を移動しながら果実、野草、屍肉をとる生活をしていたと推測される。
↓
道具と脳が進化。
↓
徐々に狩りをするようになる。
果実や野草、屍肉を歩きまわって採取するのに比べ、
・多種類の作業。分業化が進展。
・作業の種類や、その巧拙により序列が発生。特定の人物へ崇拝の念の醸成。
・危険な行為であり命のかかった見せ場として位置づけられる。
・セックスアピールの場。
・種々の関係を内包した複雑な社会へ。
〈「狩猟」はヒトがヒトたる特徴をもつにいたった出発点〉
○「美」の三つの分類
・検出の美
→目立つもの、検出されやすいものに感じる美。(色や音について、生存に特に関わるものを人間は気にかかるようにできている。例:赤色、高音)
・体制下の美
→規則的なパターン、秩序だった構成に感じる美。(人は複雑な現象を一定の秩序やカテゴリーに当てはめ整理することによって思考コストを節約している)
・喚起の美
→具体的な事柄や感情を喚起させられる美。神像や十字架など。
○後期旧石器時代から豪華な副葬品、アクセサリーを身につけた人の遺体が出土。当時から貴人がいた。格差は定住や農耕によってもたらされたものではなく、それ以前、ヒト初期の段階からあり、ヒトに脳に由来するもの。
○農耕文明である弥生時代遺物の装飾は、支配や戦いをモチーフにしたものが多い。一方、「縄文時代の美は、しばしば性器を表現する人体や動植物など、生命や生殖、豊穣への祈りをうかがわせる表現が主題を占めている。」p77
全盛期の縄文社会は、豊かな資源に恵まれ、狩猟採取漁撈社会としては世界でまれにみるほど人口が密集した。
○対人殺傷兵器は農耕社会以降に見られる。
○農耕具ではなく武器に意匠はこらされている。
狩猟が担っていたセックスアピールの機能は戦争に引き継がれた。実際に狩猟と対人闘争は、道具も動作も認知もよく似ている。
○今まで階層や戦争、遠距離交渉は、農耕による生産力の高さ、人口増加と資源不足により発展したと考えられてきた。
しかし上で論証したように、それらは農耕のはじまる以前、狩猟が中心となった時代からみられる。そのため社会格差、戦争、遠距離交渉は、狩猟時代の約30万年をかけて進化してきたヒトの認知と身体に発するものと考えられる。
○社会や経済の仕組みは、ヒトの脳が生み出すものであり、ヒトの認知特性に影響されて形成されたもの。
○縄文時代前〜中期の土器をみると、上部から下部へと文様が動的に展開することが多い。後期以降はかねがね、口縁沿い、胴部上位、中位というように部位が明確に意識され、文様は部位に沿って横方向に流れる静的なパターンになる。文様も凹凸の激しいものから平明なものへ。また文様を施さない実用本位な土器もつくられるようになる。
○民族という大集団の誕生は、「定住」が出発点であり前提。
(1)定住によって可能となった、豊かで濃密な人工物世界の構築。
人工物はそれぞれの集団の知の体系を可視化したもの。そしてその人工物自身が、同じそれを使っている者の、血縁を越えた仲間意識を強化。
「民族」としてのアイデンティティの発展。
(2)定住により不動産が生まれ、有利な土地という不動産をめぐる激しい争いの勃発。
それにより「民族」という大きな集団にまとまって争いを有利に進めようという圧力。
○三世紀中ごろになると、西日本一円から関東や東北南部まで、前方後円墳という独特のスタイルの巨大な墳墓が築かれるようになる。土器のスタイルも似通ってくる。この時期、日本列島に民族のまとまりが形成。
それ以前は墳墓や祭祀具、土器のスタイルは地域色があった。
○モニュメントの変化とそこからうかがえる社会変化について
・モニュメントは多くの地域でかねがね次のように移行
行為型(環状列石など) → 凝視型(古墳、ピラミッドなど) → 対面型(横穴式石室の古墳、など)
・行為型
→環状列石、ナスカの地上絵など。
→行為をともなう儀礼の場。
→モニュメントは、儀礼をする人々と大地の形や天体の動きが関係づけられるように配置。
→儀礼行為によってきずなを確かめ、強化する。
→明確な格差の認められない社会。
・凝視型
→古墳、ピラミッドなど。
→視線を上に導き、上下関係を類推させる。神や王への畏怖、奉仕の感情を刺激。連帯感を強化。
→権威の大きさを主張。集団に対し大きなまとまりを志向。
→軍隊や官僚制度が生み出されつつあった社会。
・対面型
→ギリシャやローマの神殿、教会。
→正面がはっきりしている。
→モニュメントと正対することによって、そこに象徴されているもの−−神や霊などの超自然的な存在−−との一対一の濃厚なコミュニケーション。
→文字経典をもった世界宗教の施設が多い。
→文字と宗教に裏うちされ、個人の倫理を確認し、救いを求める場。
→王はモニュメントから独立し、世俗的権力者へ。
○モニュメントが縮小していった2つの理由。1つは、民族の枠組みを超えた普遍的な神をいただく世界宗教の侵入によって、民俗宗教に根ざしたモニュメントに体現されていた従来の王の権威が相対化されるから。
もう1つは、社会や文化をまとめる仕組みが文字を媒介とした命題表象系に依存するようになったことにより、イメージ表象を用いて信仰や崇拝、アイデンティティを醸成する役割を担っていた巨大モニュメントの必要性が薄れたから。