ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛

ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛
リチャード・ブラント (著),井口 耕二 (翻訳) 原著2011 日経BP

ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAMAZONの隆盛

内容、出版社ウェブサイトより

売上4兆円の世界最大のショッピングサイト、アマゾン・ドット・コム。本はもちろん、DVD、音楽、ゲーム、食料品などあらゆるものを販売し、さらには電子書籍事業「キンドル」やクラウド事業でも先駆ける世界的な企業だ。そのアマゾンはなぜ本の販売を手掛けることになったのか、インターネットの波をいち早くとらえられたのか、ドット・コム・バブルを経ても生き残り、さらに発展を続けられるのか――。
本書では、CEO(最高経営責任者)のジェフ・ベゾスの生い立ちから、ウォールストリートでインターネットの重要性に気づき、シアトルのガレージで創業、株価暴落の危機をも乗り越え成功してきたアマゾンの戦略と実像について、元ビジネスウィーク誌記者のベテランジャーナリストが解き明かす!

感想

○ユーザーの利便性を追求することで、本国はもちろん、日本においても大きなシェアを占めるネット通販サイト、アマゾン。私たち市民に直接密接した大企業である。そのアマゾンを、その設立から興隆までを描いている。

○私は、アマゾンといえば先進的な取り組みをしている、という印象が強かった。本書を読んでその感はさらに強まった。
「商品に対する良いレビューも悪いレビューもユーザーが書くことができる」、
「さらにレビュー自体(評価)の評価」、
「アマゾンの商品ページにリンクを貼ってくれたウェブサイトにお金の入るようにする」、
「ワンクリックで注文可」、
「アマゾンで委託販売可」
といった、今では当たり前になっている(なっていないものもあるけれど)システムを1996、1997年あたり、と非常に早い段階から実装。
あらためてアマゾンの先進性を実感させられた。
なお、ベゾスは技術者出身。

本の通販で圧倒的なシェアを確保しているにも関わらず、キンドル電子書籍を強力に推し進めている点も、アマゾン社の攻めの姿勢を感じる。

○ベゾスは若い頃から非常に優秀だったみたいだ。高校生のころからいろいろな賞をもらっている。大学卒業後はウォールストリートでキャリアを積んでいるが、そこで技術的に最も進んだ企業と評される会社の副社長に若干26歳で抜擢されるなど、周りからの評価が高かったことがうかがえる。
う〜む、すげえ。。。
そして、ベゾスが超優秀だったことは十分にわかるが、あまりに次元が違いすぎて、もし仮に一緒に話をしたり仕事をしたとしても、僕の知力ではその優秀さを真に認知することはできないんだろうなあ。

○ネットバブル崩壊までは、利益よりも規模拡大を優先したという。
圧倒的なシェアを確保することで、ライバルが勃興するのを押さえるため。
事実驚異的な急成長を実現した。

○アマゾン社の行ってきた負の側面についても触れている。値引きをのまない出版社の本をアマゾンで買えなくしたことがあったそうだ。
そういえば、昔話題になったなあ。懐かしい。
ただ、税金の納付のことも含め、これら負の側面についてはもっともっと、紙面を割いて論ずるべきだったと思う。そうすることで、アマゾンをより立体的に多角的に捉えることができるだろう。
本書はアマゾン社に関する称賛すべき事柄をとりあげるばっかりで、マイナス面への掘り下げが非常に少ない。これは残念な点だった。

○アマゾン社の創業者、ジェフ・ベゾス氏はマスコミに出るのを避けているそうだ。実をいうと本書も、本人へのインタビューを重ねたものではなく、ベゾスの周辺の人物にインタビューしたり、既に公開されている情報(スピーチやニュース記事)をかき集めて書かれている。
ベゾスの方針から仕方ないとはいえ本人の内面に迫えているとは言い難く、アマゾン社やその創業者に関心のある私にとっては物足りなく感じる面があった。
ベゾスの夢や野望、きれいな部分もどす黒い部分も、肉感をもって伝わってこないのである。

メモ

(本人のスピーチより)
(高給取りの会社を退職してアマゾン社を起業しようとしたときの話)「1994年の半ばでウォールストリートの会社を辞め、ボーナスをもらいそこねても、80歳になったとき、それを後悔することは絶対にないと思ったのです。そういうことがあったと覚えてさえいないかもしれません。逆に、このインターネットというもの、燃えるような想いを抱いているものに身を投じなかった場合、あのときやっておけばよかったと心から後悔する可能性があると思いました。」p74

(ユーザーに、本のレビューを書き込める機能や、さらにそのレビューを評価する機能、著者に質問できる機能を実装したことに対して)「アマゾンは単なる販売サイトではなく、本好きが集まるソーシャルネットワーキングのサイトと言えるものになっていたのだ。」p119