政治をするサル(チンパンジーの権力と性)

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政治をするサル(チンパンジーの権力と性)
フランス・ドゥ・ヴァール著 西田利貞訳 平凡社 1994


【内容(「MARC」データベースより)】
権力闘争、分割支配、同盟、調停など、高度な政治的行動の数々がチンパンジーの社会のなかにすべて見出されることを明らかにしたドキュメント。チンパンジーの社会的知能を生き生きと描きだす。


【主旨】
 オランダ、アーネムのブルゲルス動物公園では、チンパンジーが野外で集団飼育されている。オリに入れられた状態よりは、より自然に近い状態で群れを観察できる。それによって観察されたことは驚くべきことだった。チンパンジーは人間顔負けの社会的かけ引き――権力奪取、優劣のネットワーク、権力闘争、同盟、分割支配の戦略、調停、特権、取引etcetc――に充ち満ちていた。つまり、チンパンジーは多数の複雑なサル関係を認識し、己が行動の与える影響を予測しつつ、目的にあった行動をしていたのだ。


私見
 著者や訳者が指摘するように、このアーネムチンパンジーたちは厳密な自然状態にあるわけではない。本書から自然のサルとの違いを吸い上げてみると、
 第一に、十分な食物を与えられているため、食物を探すのに使う時間が、社会的な相互作用に使う時間にまわされる(野生のチンパンジーは起きている時間の半分以上を食料探しにつかわなければならないそうだ)。
 第二に、居場所が制限されているため、集団から自分を完全に隔離することができない(アーネムチンパンジーは闘争の後、和解するが、自然状態ではたいして激しくない葛藤の後にしか見られない、
 また自然状態では子持ちのメスとオスが一緒にいることはあまりないため、メスはオスたちの優位争いにほとんど影響力をもたない※訳者の指摘)とある。
 また、冬の間は寒いのでケージに入れられるというのも、自然状態にはない特異なものだろう。
 アーネムチンパンジーたちが自然状態とは違う環境にいることは十分に考慮すべきだが、それでも、違った環境にみごとに適応し、そしてそれに対応した適当なかけひきを繰り広げていることは、チンパンジーの、環境対応能力の高さを示していると思う。社会における権力闘争のための高度なかけひきという個別的な行動から、チンパンジーたちは中長期的にみて安定した社会を生み出している。これは「人のみ」と考えられていた特徴ではないだろうか。
 チンパンジーたちの高度な政治的かけひきを見ていると、近縁の人類の政治的かけひきも、遺伝子に刻まれた本能の発現に過ぎないのではないかと思えてくる。いやきっとそうなのだろう。政治的駆け引きにより、自分に利益を引き出すことのできなかった個体は自然淘汰や性淘汰の洗礼を受け、子孫を残せなかったのだ。
 それと、人間の自我についての鋭い見識があったので、少し長いが紹介したい。


「 鳥にしのびよる猫は、最後の跳躍を〝計算〟しなければならない。鳥の反応を正確に予測するためには、多くの経験が必要である。この点では、幼い猫と大人の猫のあいだに、大きなひらきがある。私たちは、一般にネコの計算を意識的な過程とはみなさいないが、おなじように、私たち自身の戦略(skycommu注:政治的社会的かけひきのこと)も、大部分はこれとひじょうによくにた、直感的な計算に依存しているのだ、と私は思う。これらの戦略は、経験にもとづき、知能もたいそう必要であるが、かならずしも、私たちの意識にのぼるとはかぎらない。同様に、チンパンジーは、意識的に戦略を計画することなしに、合理的な活動のみちのりにしたがい、知能と経験をつかうかもしれない。
 人間は、話しをする霊長類であるが、その行動は、チンパンジーの行動と、じつはたいしてちがいはないのだ。私たちは、口げんかや挑発的でききめのある言葉の誇示、抗議や干渉、和解の口きき、そのほか、さまざまなかたちの言語活動をおこなうが、チンパンジーは、それらを、言語表現をともなわずおこなうだけだ。
 人間が、言葉のかわりに行動にたよる場合、チンパンジーとの類似はなおいっそう大きくなる。チンパンジーは、悲鳴をあげ、大声をだし、ドアをたたき、物を投げ、助けをもとめ、あとになると、友好的な接触や抱擁によって、そのうめあわせをする。私たちも、また、こういったかたちはすべて演じるわけで、そんなとき、意識的な決断は、ふつうしていない。だから、私たちの動機は、多分チンパンジーのそれと、たいしてちがっていないだろう。」


 人間の自我とは、半ば、無意識に政治的・社会的判断をするものの上に極めて脆弱にたっている不確定なものとはいえるのではないだろうか。チンパンジーの高度な政治的駆け引きを見せられた後だと、著者の主張は強い説得力を持って迫ってくる。