幕末史

幕末史
半藤一利 2008 新潮社

内容(「BOOK」データベースより)

多くの才能が入り乱れ、日本が大転換を遂げた二十五年間―。その大混乱の時代の流れを、平易かつ刺激的に説いてゆく。はたして、明治は「維新」だったのか。幕末の志士たちは、何を目指していたのか。独自の歴史観を織り交ぜながら、個々の人物を活き活きと描いた書。

感想

○昭和史で有名な半藤一利の本。内容はタイトル通り。口述が元になっていることもあり、読みやすい。
「ウルトラ攘夷派」(固く、そして激しく外国人を排斥しようと考えている人々)といった、かる〜い言葉遣いを多用する。そのためおもしろくすらすらと頭にはいってきて、きっと敷居も低くていいんだけれど、何か、、、複雑な中身というか、一言では、軽口では言い表されない、何かが失われてしまっているように思う。まあ、読みやすさとトレードオフに近いところがあるから、それもいいか。こういう本だけだったらまずいけれど、わかりやすさを優先した本があってもいいでしょう。
史料もある程度豊富に示していて、決して適当な本ではない。

○著者の父の出身は越後長岡であるという。戊辰戦争で「賊軍」とされたところだ。ゆえに明治「維新」は、「薩摩・長州」による暴力革命であると、「はじめの章」で述べる。「維新」としての幕末ではなく、「権力闘争」としての幕末を描こうというのだろう。
私たちは明治維新について普通、まったく機能しなくなった徳川政権を、国難を憂えた「志」士たちと「雄」藩がひっくり返し、近代国家としての日本をつくりはじめたものと考えている。それとはまた違った見方を提供しようというのである。

とはいえ、、、本書はペリー来航から西南戦争まで概括しているが、国難にまるで機能しない幕府と、それに反して反幕府側の視野の広さ目につくけどなあ。それに、権力闘争って言ったって、なんかみんな権力がほしそうには見えないんだよね。こう、周りがぐちゃぐちゃしすぎて組織のトップという役割がめちゃくちゃめんどくさいというか、わけわかんないことになっていて、けっこうやりたがらなかったり。

明治維新が「薩摩・長州」による暴力革命であるという指摘はある程度そうなのだと思う。しかし、上に書いたようにどうも人々は権力を強く欲しているようには見えない。だから、著者の指摘は「ある程度は」という限定の語句を付けて僕は受容したい。

また、アメリカやイギリスの植民地にならなかったのは、やっぱり薩長のトップたちのおかげだと思うな。本書を読んでも。彼らは品行方正完全無欠な志士ではないかもしれない。だが、国難を強く憂いたのは事実だし、また国難を紆余曲折あったけれどなんとか突破したのは間違いなく彼らのおかげだ。その点で僕は薩長のトップたちを志士と読んでもいいと思う。

○幕末、そして明治維新前後のぐちゃぐちゃぶりはすごい。ありとあらゆる組織、幕府、各藩、朝廷。それぞれの中にも様々な派閥。そしてそれぞれのなかに有象無象する利害。それぞれの中に有象無象する思想。それぞれの中に有象無象する思惑。たくさんのそれらがめちゃくちゃに存在して、合わさって、分かれて、入れ替わって、がんじがらめ、めちゃくちゃ、何が何やらよう分からん。そんな中で、新しい国のかたちをぐちゃぐちゃになりながら何とかつくっていった。大久保や木戸、その他諸々のほんとうに若い人々。確かに本書から権力闘争の面も読めるんだけれど、まあなんとか、ぎりぎり、外国と渡り合える体制ができちゃったって感じかな、明治維新は。本書を読んでいてそう感じた。説明になってないかもしんないが。

メモ

「歴史とは人がつくるものとつくづく思います。人と人との信頼がなんと大事なことか。勝と西郷、勝とパークス。それが戦乱と化しそうな歴史の流れを見事に押しとどめました。」p336