ギルガメシュ叙事詩

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ギルガメシュ叙事詩
月本昭男 1996 岩波

内容(「MARC」データベースより)

世界最古の英雄物語、リルケやヘッセをも魅了したギルガメシュ叙事詩が、楔形文字からの翻訳によって、今蘇る。洪水伝説など、旧約聖書を始めとする多くの神話群に痕跡をとどめる物語の祖形を、図像や解説を交えて再現する。

感想

○現存最古の神話として有名。解説を読むと、これより古い粘土板もあるようなので、現存最古の「まとまった」神話といえよう。
世界史の教科書をみると、このチグリス川とユーフラテス川周辺の、シュメルの地から都市文明のはじまりを書き出している。まさに、人類最古の都市文明が生まれ発展したところで粘土板に刻まれたのがこの神話なのだ。
粘土板に刻まれ幸運なことに長年の風雪に耐えたギルガメシュ叙事詩であるが、さすがに欠けて読めなくなっている部分や、完全に意味をとれず推測せざるを得ない部分も多い。ギルガメシュ叙事詩は読みやすい物語として整備され出まわってもいるが、本書のような研究書としての逐語訳を読むと、欠けてる部分や推測して訳した部分が明示されているので、欠損のことが意識される。それだけ、この物語の時間と私たちの時間との間に横たわる長い長い狭間を感じさせる。
時間だけではない。ギルガメシュ叙事詩の人々は、現代の私たちとは全く異なる意識・世界の中に生きている。都市を守護する神や個人を守護する神に従っており、また「呪い」は本当の意味で効果をもち、「夢」は真に重要なお告げをもたらす。これを読んでいると、この神話の担い手たちの意識と私たちの意識との間によこたわる長い長い狭間を感じさせる。
 本書は現代風に脚色された物語ではない。リアルな神話そのものであり、語りなのである。

○この偉大なる神話は次のようにはじまる。

深淵を覗き見た人について、わたしはわが国人に知らしめよう。
すべてを知った人について、すべてをわたしは教えよう。
彼はあらゆる国々を調べ尽くし、
すべてを知り尽くし、知恵をきわめた。
彼は秘められたことを見、隠されたものを聞き、
洪水前の事柄を知らせたのだった。
彼は遙かなる道を歩んで労苦を重ね、ついにはやすらぎを得た。
彼は石碑に彼の全ての労苦を刻みつけた。

「深淵を覗き見た人」というのは、ギルガメシュのことなのだが、彼はどんな深淵をみたのだろうか?
ギルガメシュは王であった。「最愛の強大なる友」エンキドゥと出会い、森林を守る魔物を共に打ち倒し、困難を乗り越えた。しかし、神の怒りに触れ「最愛の強大なる友」エンキドゥは死んでしまう。死の恐怖にかられたギルガメシュが最後に知ったのは、人間は死すべき存在だということ。決して永年の命は手に入らないということだった。
《人間は死なねばならない》という残酷な現実。これが、ギルガメシュが最後にみた深淵だったのではないだろうか。

○私は神話に興味がある。なぜか?

一つは疑問のよち、批判のよちがないから。
神話という物語は、批判の対象ではない。神話は各文明の初期という唯一の、ある一点に勃興しまとめられ、そして幾つもの統合や変異を経つつも奇跡的に現代にまで残されたものだからだ。神話という物語には現代では理解できなかったり、非論理的に感じる荒唐無稽なものも多い。しかし、それも文明の初期に生まれ、紆余曲折を得ながらも現代まで残されたという点で、神聖なのである。一字一句、ちょっとした言葉の言い回しまで、その全てが神聖でおかすべからざるものなのである。(もちろん、研究的視点で見るのは別だが)
例えば、普通の小説であれば、最後は主人公が死んだ方が良かったとか、結ばれない方が良かったとか、うんぬんかんぬんストーリーの善し悪しについて議論ができよう。学術書であれば、データの取り方がおかしいとか、根拠があいまいとか、書かれていることの妥当性についてうんぬんかんぬん議論ができよう。
しかし神話はそうではない。文明の初期に生まれ、変異を受けながらも現在にまで引き継がれたものなのだ。批判や議論の対象ではない。
ゆえに神話は心のどころ、救いのよすがになるのである。。

もう一つは、神話は古い時代の人間の意識を反映しているから。私は「私」が一番大事。私を昨日、今日とひと続きする「私」として認識するこの自己意識。つまり「私」。「私」は実に不思議なものだ。そして、「私」の在り方、つまり自己意識の在り方は時代によって違う。

もう失われた太古の「私」の在り方を神話は少し残している。神々の声、世界充満する呪に左右される「私」。
そこには、現在の強固な「私」にはない意識、感覚がある。一番大切な「私」の古い形態がうかがえるという点で、私は神話に興味がある。

ギルガメシュは半神半人。人間くさい悩み、喜び、誰かを愛する。

○同じ台詞の繰り返しが多い。似た場面だけど少しずつ条件を変えて繰り返す劇みたい。

解説よりメモ

ギルガメシュは実在の王。紀元前2600年頃のシュメルの都市国家ウル区の王。のち神格化。

○古バビロニア時代(紀元前1950年〜1530)にまでさかのぼることができる。

○3分の2は神、3分の1は人間といわれるギルガメシュだが、叙事詩は最後まで彼を人間の側に立たせている。

○「ギルガメシュとエンキドゥによる「香柏の森」遠征の物語が読まれ、語り継がれていた時代、メソポタミアでは実際に、香り高い「香柏」が遙か遠くの山地からもち運ばれ、華麗な宮殿や神殿の内部を飾っていた。そういう意味で、この物語は現実味を帯びていた。しかし、皮肉なことに、メソポタミアの王たちによる「香柏の森」への遠征は、「香柏の森」の乱伐の、ひいては絶滅の原因となってゆくのである。そういう意味では、『叙事詩』における「香柏の森の守り手」フンババの殺害の物語は、自然に対する「おそれ」の気持ちを失った人間が自然を破壊しはじめたことの象徴でもあった。」p345

○(四つの主題、p313
死の問題
友情
太陽神への信仰
ギルガメシュの「精神形成」)