金色の棺

金色の棺
内海隆一郎 1985 筑摩書房


【内容、出版ウェブサイトより】
1950年、中尊寺・藤原三代のミイラに学術調査が行われた。事実の究明と寺の興隆に尽力した僧と新聞記者の見たものは?


藤原三代―、清衡、基衡、秀衡。およそ800年まえ、奥州に君臨した、いまだ謎をはらむ支配者。中尊寺に眠る彼らのミイラに、1950年3月、科学的な調査が行われた。ここに至る道は平坦ではなかった。戦中に荒廃した中尊寺をいかにたて直すかに苦心する僧、ミイラの調査・公開に情熱をもやす新聞記者、煮えきらない役人…。現実的な思想と夢、それらと信仰心とのかかわりのむずかしさ。幾多の困難の末、いま、金色の棺は開かれた。


【雑感】
 史実にもとづいた小説だそう。戦後の混乱で,中尊寺をはじめとする世間の寺院は,困窮のため,文化財消失の危機の中にあった。中尊寺金色堂に眠る奥州藤原氏三代当主のミイラにみせられた中尊寺の僧と新聞記者。信仰の問題もあるなか、学術的調査と保存の必要性に気づく。様々な困難と配慮の末,ミイラが学術調査されるまでの物語。物語は着々と進むのをふむふむと読めた。それはなかなか面白かったし、よく練り上げられた予定調和のはずだった。はずだった。


 「はずだった」というのはラストの、主要登場人物の言葉にめちゃくちゃ驚いたからである。


中尊寺は、有名になりすぎて、ただの観光地になってしまうかもしれないな」


 たんたんと進んできたはずの物語を、一気に俯瞰的に見るこの視線。
 僕は、ただただこのラストに驚かされた。いい意味で驚かされた。
 これまで丁寧に積み上げ、醸成されてきた物語世界。物語の価値観。それを突如一気にぶち壊す。泥臭く人間の背中をおっていた視線が、突如、遙か上空に舞い上がり、その人間の蠢いていたミニチュアのごとき世界をみせる、、、、、、。そんな感じ。