「私たちは、他の人々を、彼らが何かしたからではなく、私たちが彼らに何をしたかのゆえに嫌う傾向がある。」

「 なぜ人々は他の人間を嫌うのか。私たちは自分に害をなしたあるいはなすかもしれない他人を嫌うからというのが明らかな答えだと、あなたは思うかもしれない。しかし、驚くほど異なった答えが名乗り出てくる。私たちは、他の人々を、彼らが何かしたからではなく、私たちが彼らに何をしたかのゆえに嫌う傾向がある。言い換えると、敵意や嫌悪は自己充足的なのである。私たちは、自らの行動の結果として、敵対的な態度を発展させるのであり、おこなうことによって学ぶのである。
 もし私がほかの誰かを傷つければ、その人に対してやさしくする気持ちになるだろうと、あなたは考えるかもしれない。しかし研究、とりわけ子供についての研究は、まるっきり逆のことを示している。ほかの人間を傷つけた子どもは、たとえ事故であった場合でさえ、犠牲者の悪いところを考え、要するに、その子がそういう報いを受けるのは当然なのだという理由を考えだす。そして大人は一般にもっと手の込んだ感情をもつが、同じことがいえる。それはまるで、人々が事件の後で、自分自身のおこないを合理化する必要があるかのようである。そして、私たちがいかにしてほかの誰かに危害を及ぼしたかを説明する唯一の方法は、何らかの方法で、彼らはそうなって当然だったのだと自らを説得することである。
(ry)
 しかし、それにはもう一つの側面、この「おこなうことによって学ぶ」に対するもう一つの側面がある。心理学者が発見したことは、ちょうど敵意が自己充足的であるのと同じように、友情も、愛もそうなりうるということである。」


(『喪失と獲得(進化心理学から見た心と体)』ニコラス・ハンフリー著 垂水雄二訳)(初出は1987)