テクスト論に対する覚え書き

まずテクスト論とは何か引用したい。


「テクスト論とは、これまでの批評理論が「作品」の意味を「作者」の意図、主題、生涯、時代背景へと還元することを通じて確定し、その確定にいたる過程の作業を分析と称する作者還元主義の立場煮立っていたのに対して、これに反対し、これとは違う考え方を提起すべく、新しく生まれてきた批評理論である。それは、「作品」と「作者」の関係を切断し、「作品」に書かれたもの単独ないし書かれたもの相互の関係性の中で、分析・考察しようとする。」
加藤典洋「「作者の死」と『取り替え子』」(「群像」2002年10月)より


僕は、テクスト論のアプローチをとった評論はかなり好きである。
はじめて、テクスト論のアプローチを知ったのは、大学の講義であった。作品と作家を切り離し、作品に書かれているものに注力する。何でもかんでも、作者がどうたらこうたらとばかり書いてある評論にうんざりしていた僕は、テクスト論を知り、すごい興奮を覚えた。その考え方に魅力を感じた。


しかし、最近は、考え方が少し変わってきている。何でもかんでも作者に結びつけるのもおかしい。けれど、やっぱり、少しは、作者の背景とか、思想とか、経験とかも理解する必要があるんじゃないかって。


どうして僕が、文学作品を評論しようとし、また他人の評論を読むのかといえば、それは、文学作品をより深く読むためだ。この「深く」ってのがあいまいだし、みそなんだけれど、そのためなら作家と作品を結びつける必要も生じてくると最近、思っている。確かに、テクストは、あくまでそれ自体として私たち読み手の前にあるが、それは、書き手の表現系であるという側面もあるから。


《20081214の記事》