「ザンヤルマの剣士」シリーズ
「ザンヤルマの剣士」シリーズ
麻生俊平 H5〜H9 富士見書房
【カヴァーの宣伝より】
「ザンヤルマの剣士」
鵬翔学院高校に通う矢神遼は、ある日、奇妙な紳士から、波形の鞘に収められた短剣を押しつけられた。『この剣は、抜くことができた人間に強大な力を与えてくれる…』謎の言葉を残し、紳士は去る。一見、どうやっても抜けそうにない形状をしたその剣を、なぜか遼はあっさりと抜くことができた。しかし、その日を境に、遼の周辺ではバラバラ殺人事件が連続して発生する。しかも、被害者は遼に不快な思いをさせた人物ばかりであった。『僕は無意識のうちに殺人を犯してしまったのか?』いま、遼の運命は大きく変わろうとしていた…。ファンタジア大賞出身の新鋭が贈る、書き下ろしサスペンス伝奇アクション。
「ノーブルグレイの幻影」
超古代文明の遺産である“ザンヤルマの剣”を受け継ぐことになってしまった少年、矢神遼。その剣のもたらす強大な力に遼は恐れおののく。だが、ある事件をきっかけに、遼は自らの運命にたちむかってゆく決心をした。それから、ひと月後。遼はTVで異様な光景を目にした。生番組に出演中のマジシャンの全身を、なんの前ぶれもなく、青い炎が包みこみ、骨も残さず燃え尽くしてしまったのだ。これは“遺産”が関わっている。さっそく、調査を開始しようとしたその矢先、あらたな問題が発生した。厳重に保管しておいたはずの“ザンヤルマの剣”が消え失せてしまったのだ。“剣”はどこにいったしまったのか?そしてマジシャン焼死事件の真相は?好評、サスペンス伝奇アクション書き下ろし第二弾。
「オーキスの救世主」
心の扉を開く―これを実践し、人々にひろめる、“オーキス・ムーブメント”という活動があった。矢神遼は中学時代の同級生に誘われ、このイベントに参加する。もともと人付き合いが苦手なうえ、重大な秘密を持っている遼は、激しく心を揺さぶられた。重大な秘密―世界を破滅に導くこともできるほどの力を秘めた“ザンヤルマの剣”を所有していること…。それゆえ、苦悩し、なにかに心の救いを求める遼の目に、この活動は非常に魅力的に映った。しかし、異常なまでの盛り上がりをみせたこのイベントには、やはり超古代文明の遺産が絡んでいたのだ。戦慄のサスペンス伝奇アクション書き下ろし第三弾。
「フェニックスの微笑」
朝霞万里絵―彼女は数々の“敵”と闘いつづける“ザンヤルマの剣士”矢神遼の従妹であり、彼とともに闘う数少ない協力者のひとりである。その万里絵に、英語演劇部からある依頼がきた。学園祭で上演する舞台で、主役をやってほしいというのだ。学園祭までは、あと10日しかないというのに。一方、そういった派手なイベントと縁の薄い遼は、近隣の学校で連続して起きた学園祭妨害事件に興味をいだいていた。―“イエマドの遺産”が絡んでいるような気がする。だけどこんどは彼女を巻き込んじゃいけない。あんなに芝居の稽古に熱中しているのに―遼は万里絵に黙って、調査をはじめる。だが事件は、その芝居との意外なつながりを見せはじめた…緊迫のサスペンス伝奇アクション、書き下ろし第四弾。
「フェアリースノウの狩人」
『ジングルベル』や『赤鼻のトナカイ』がBGMとなる季節。歳末商戦で賑わう街で、「ザンヤルマの剣士」矢神遼はイェマドの「遺産管理人」裏次郎に遭遇した。―現人類の愚かさを証明せんがため、ひとびとに超古代文明の遺オーキスの救世主服をたくらむ悪の秘密結社などではない。弱く傷つきやすいひとの心と闘っているのだ。超古代文明〈イェマド〉の科学技術の結晶である“遺産”を手にした人間は、その魔法のような力に見せられ、周囲を巻き込みつつ、破滅への道をたどりはじめる。自信も深く傷つきながら、遼は今日も〈剣〉を振るう。破滅へと向かうひとびとを救うために・・・・・・。月刊ドラゴンマガジンに掲載され、長編シリーズの元となった短編『ザンヤルマの剣士』他2話と書き下ろし3話を収録。好評伝奇アクションシリーズのサイド・ストーリー短編集。
「イリーガルの孤影」
TOGO産業―表向きは特に目立つところのない普通の商社だが、その実態は利潤追求のためには非合法手法をも辞さない不気味な企業である。さらにTOGOが特異な組織であるのは、裏次郎から譲り受けた“遺産”を活用し利益を上げていることだった。前回の事件でTOGOの存在を知った「ザンヤルマの剣士」矢神遼は、彼らとの対決を決意する。しかし、遼とともに遺産を巡る闘いを続けてきた氷澄は、TOGO工作員との戦闘で守護神を奪われ、行方をくらませた。そして、遼のよきパートナーである万里絵も戦闘技術の再訓練のためアメリカに渡る―ひとり残された遼はどう闘うのか。書き下ろし伝奇アクション・シリーズ、激烈の第六弾。
「モノクロームの残像」
「ザンヤルマの剣士」矢神遼は、行方不明だった氷澄丈太郎との再会を果たした。しかしそれは仲間ではなく敵―TOGO産業の手先としてであった。とまどう遼は氷澄に敗れ、TOGO産業の研究所に拉致されてしまう。一方、遼のパートナーである朝霞万里絵は、彼の力となるべくアメリカでサバイバルの技術に磨きをかけて帰国した。遼がとらわれの身となったことを悟り、彼女は遼の奪回を決意する。―あたしがバックアップしてあげる。思う存分やりなさい、遼。TOGO産業が鵬翔学院に送り込んだ工作員、美山果林をマークすることで突破口を探る万里絵。遺産相続人である果林を相手に、彼女はいかなる戦いを仕掛けるのか、そして遼を救出することはできるか。
「ファイナルの密使」
使うほどにすさまじいまでの能力を見せつける「ザンヤルマの剣」に、所有者である矢神遼は戦慄を覚える。超古代文明「イェマド」の“遺産”の暴走を止めるためとはいえ、世界を破滅に導きかねないほどの力を振るい続けていいのか。―彼になら相談できるかもしれない。迷う遼はかつて剣の使い方をアドバイスしてくれた、もうひとりの「ザンヤルマの剣士」を捜しはじめる。やがて遼の目の前に敵としてあらわれた少年。だがそれは、求めていた相手ではなく“三人目”の剣士だった。なぜ遼を狙うのか、そして遼は同等の力をもつ遺産を相手にどう戦うのか!?驚愕のサスペンス伝奇アクション、書き下ろし第八弾。
「イェマドの後継者」
“イェマドの遺産”の所有者たちを闇に葬り去っていく管財人特務部隊、通称FINAL。彼らの情報網は、遂に最大のターゲットである「ザンヤルマの剣」の所在を掴んだ―。迫りくる共通の敵を相手に、お互いを「剣士」として認めた矢神遼と佐波木敬。だが、心強い仲間との出会いも束の間、FINALの擁するもう一人の「剣士」、ジェネラルが彼らに襲いかかる。解放され激突する最強の“遺産”の力。だがそれは、かつて超古代文明イェマドを破滅に導いたものではないのか?風雲急を告げるサスペンス伝奇アクション。衝撃の最終巻。
【雑感】
☆古代文明の品々「遺産」によって、超絶な力を得た人々が起こすお話。だいたい、力を暴走させて、破滅しちゃう点で、「笑うセールスマン」にプロットは似ている。「笑うセールスマン」が非現実的で象徴性が高いのに比べ、「ザンヤルマの剣士」シリーズは、「遺産」を手に入れた人々が、「遺産を」軍務に利用したりされたり、金儲けに利用したりされたりと、象徴性を維持しつつも現実的だといえる。
☆僕の先輩が愛読している小説。だから、読んでみようと思った。
☆あらためて出版年をみてみると、短い期間に一応完結させている。よく書けたなあ。
☆一巻目は、文章力も構成力も微妙、って印象をもった。不自然な描写が多い。特に、ワンパターンなタイミングではじまる人物描写には辟易した。また、これは一巻目だけでなく前半の巻に多いのだが、苦境に陥った主人公に、実に都合のいいタイミングで助けが入る。おいおいって、笑ってしまうことが多かった。
けれども、巻をおうごとに、文の表現力も、構成力もぐっとよくなったと思う。後半の巻の描写は結構それ自体で楽しめるぐらいだった。作者の成長がみえるのも、おもしろかったし、興味深かった。
☆人間を描こうとしている。人間のもついろいろな側面を、描こうとしている。なかなか、成功していると思う。
僕が、「なかなか」という印象で終わるのは、「人間を描こうとしている」ところがみえてしまうからだろう。
もっともこれは、テーマをもったシリーズものには避けられないことだ。シリーズものを読んでいれば、各巻の間に共通するテーマを読んでしまう。次の巻を読むときも、それを念頭におきながら読むだろう。そうすると先が読めちゃったり、小説の都合良さを感じてしまう。
☆個々の小説の中には、非常におもしろいものも多い。たとえば「オーキスの救世主」や「モノクロームの残像」は、久しぶりに興奮しながら読んだ。社会的なテーマにも、向き合っている。それに、人間の成長を描いていて、それを僕が興奮して読めるんだから、よく書けていると思う。
けれども、シリーズ全体をみたとき、微妙に整合性がとれていないところが多いのではないか。特に最後の終わらせかたが強引だろう。人類を滅ぼそうと思った佐波木であるが、読者が彼に、共感できるところまでもっていっていない。過去のザンヤルマの剣士についても同じ。本シリーズ最大の謎なんだから、彼らの絶望と狂気をしっかり描くべきだ。
☆佐波木や、彼に対峙する主人公の矢神も、考え方が子供っぽくて、いまいち、感情移入できない。
☆もっとも成長したのは、主人公じゃなくて、江間水緒美とともに「遺産」を管理しようとしていた氷澄丈太郎かな。山場もあったし。(僕は、氷澄丈太郎の発言内容に賛意を示しているわけではない。)彼はいろいろな面で人間的に成長し、僕を興奮させてくれた。
☆「イリーガルの孤影」に、「ザンヤルマの剣士」シリーズの主題を明瞭につく言葉がある。
美山果林は、利益のためなら殺人をも辞さないTOGO産業に属している。幼い頃、そこに拾われたのである。美山果林は、TOGO産業で働き、そこの人々に認められることで充実していた。その美山果林に、矢上遼は、TOGO産業を辞めろ、「遺産」を捨てろ、と言うのである。美山果林は、矢上遼にこう言い返す。
「正義感か? 正義ー誰もが口にする安っぽい言葉だ。そんなものはこの世のどこにもないだろうと思っている。しかし、一人の人間の信念という意味でなら、あるいは存在するのかもしれない。だが矢上遼、おまえの正義は狭小だ。温室育ちの坊やが、自分の見てきたことを世界のすべてと勘違いして、自分の考えを他人に押し付け、あるいは裁こうとしている。私はそんなもので裁かれるのはご免だ。おまえの正義など認めない。」
これに対し、ついに何も言えなかったのが、矢上遼の特徴であり、限界であり、魅力なのである。また、作家の良心でもあるのかもしれないし、逃げでもあるのかもしれない。
☆矢上は、人を殺さないという信念のもと、行動する。最終巻では、矢上のこの困難な姿勢の結果に対して、救いを示していた。これまで矢上と対立ししてきた者たち、あるいは共闘してきた者たちの様子が、穏やかな空気をもって語られるである。矢上と対立してきた者たちは、自分への反省つきで。
たぶん、全巻をふまえた上での、感動的なシーンだと思うんだけど、僕は少し引っかかった。
矢上は、自分と違う信念とぶつかり、それを認め、乗り越えようとして成長する。しかし、その信念たちも、結局は矢上の「踏み台」でしかなかったのではないか。
僕はこのシーンをみて、そういう疑義を抱いた。
【ネットサーフィンしてて見つけた評論の、なるほどって思ったところの引用】
http://www2.tokai.or.jp/LOOP/asou.htmより
「麻生俊平……彼の最大の特徴は、「敵の正しさ」にあると私は思う。
彼の作中に登場する「敵」は、実のところ「敵」ではない。
もっと正確に表現すると、「主人公に倒されることで主人公の強さと正しさをアピールするために作者に用意された、記号としての敵」ではない。確固とした人格と理念を持っている。なに、そんな作品は珍しくない? なるほどそれだけなら珍しくない。だが彼は本当に徹底している。敵には敵の正しさがあることを、たとえ主人公の目から見て「悪いこと」であっても、それにはそうせざるを得ない理由がはっきりあることを、緻密に、丹念に、それこそ執拗なまでに書く。
(中略)
敵に同情させることを目的に書いているわけではないからだろう。あくまで「主人公の正義」をゆさぶることが目的だから。」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/zanyarma.htmlより
「本書『ザンヤルマの剣士』から連なる、全10巻のシリーズのなかで描かれているのは、言ってみればこうした自由――自分だけでなく相手の自由をも認めようとするがゆえに生じる困難との戦いの記録、ということになる。」
「「ザンヤルマの剣」を受け取った矢神遼にしても、ただの高校生――それも、臆病で小心者、他人との付き合いについても苦手であり、ともすると自分の殻に閉じこもりがちなところがあり、にもかかわらず、ときに自分の感情の高ぶりを押さえられないところもある、物語の主人公というにはあまりに未熟で陰の多い少年でしかない。むしろ、彼の参謀役として知恵を貸し、また自身でも積極的に動くことで彼をサポートする万里絵のほうが印象に残るところさえあるのだが、主人公のこうした人間としての弱さ、とくに、他人と衝突することを忌避しようとするその性格が、ただの弱さで終わるのではなく、その弱さを戦うべき相手のなかにも見出してしまうやさしさ、純粋さにつなげていこうとする方向性が、著者の作品の中には見られる。」
「遼たちの戦いは、たんに遺産の力との戦いというだけではなく、漠然と規定されていた「人間らしさ」が無意味なものとして崩壊していった後に、それでもまぎれもない人間らしさを保つためにはどうすればいいのかを探究していくための戦いでもある。そして、だからこそ遼は、他ならぬ剣の形をした遺産――あきらかに武器として使われることを目的としている遺産を手にしているにもかかわらず、戦いのたびに傷つき、悩み、しかしそれでもなお戦うことをやめない。遺産を破壊し、あるいは遺産相続人を殺害するのは難しいことではない。だが、遺産相続人たちが陥ってしまった安易な選択をとらず、時間もかかり、簡単に答えの出ない道をあえて進んでいくからこそ、遼の戦いは大きな意味をもつものとなる。」
《20081212の記事》