本能はどこまで本能か ヒトと動物の行動の起源

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本能はどこまで本能か ヒトと動物の行動の起源
マーク・S・ブランバーグ著 塩原通緒 原著2005 早川書房

内容、出版社ウェブサイトより

遺伝子か、環境か。神経学者が解き明かす行動と認識の起源


 母鳥の後に一列にならんで池に向かうカモのヒナ。産卵のために川をのぼるサケ。ダムを造るビーバー。羊の群れを守る牧羊犬。道路に出ていった子供を守るために車の前に飛び出す母親……。
「本能」と呼ばれるものは、どこからくるのだろう?それは生得的で、経験とは無関係でなければならないのだろうか? また、これらの見事な行動は、遺伝子によってプログラムされているのか、あるいは環境によって形成されるのか? そもそも、遺伝要因と環境要因のふたつにわけるなどということが簡単にできるのだろうか? そして、進化はどうかかわってきたのか?
「本能」という言葉にごまかされずに、行動とその発達について深く追求していけば、遺伝子、細胞、行動、物理的・社会的・文化的環境が能動的に相互作用して、われわれの行動と認識を形づくっているのが見えてくる。気鋭の神経学者が「本能」論争を解説し、行動の起源を探ることの重要性に迫った科学ノンフィクション。

感想

進化心理学に強い関心を持っていた僕には驚くべき内容が書かれていた。
 進化心理学は、進化生物学の考えを、人間の心理に応用する学問である。すなわち、『人間の心理(行動)は、自然淘汰の結果として環境に適応したものが残っている』と考え、人間の心理の起源や行動の起源、適応過程の研究を進める。
 人間は氏(遺伝)か?育ち(環境)か? とよく議論されるが、進化心理学は人間に与える遺伝子の影響を注視する(もちろん人間に与える環境の影響を否定するものではない。)。進化心理学では人間の心理や行動を、適応進化によるものではないかと考え研究するわけだ。


○しかし本書の著者によると、これまで遺伝子によるものと説明されていた動物の諸行動は、各個体の環境や経験によって驚くほど大きな影響を受ける、というのである。
 著者があげる具体例を引用すると例えば、
子育て中の母親の行動態度
排卵時の温度
受精卵の細胞質
妊娠中の摂取食物  など


 これらの例をみていると、動物の行動の起源がいかに複雑であるか、感嘆というか、めまいを感じずにはいられない。動物のある行動が、遺伝子による遺伝により生まれる前からそなわっているものか、それとも生まれた後、各種影響を受けて獲得(あるいは発現)したものか判断は非常に難しいと、指摘している。


 北米のヘラジカは、捕食者のオオカミやヒグマが激減すると、あっという間に、その匂い、姿、音に鈍感になった。接触経験のなくなった地域のヘラジカは、かなり無防備になったのである。しかし、再び生息するようになったオオカミに子を殺されると、以後はオオカミの鳴き声に非常に敏感になったという。このことが示しているのは、ヘラジカの、オオカミに対する警戒心は、染色体による遺伝ではなく、学習による遺伝だということである。(p176)
 また、ラットに対する実験で、子育ての態度も子どもに伝わることがわかったという。血のつながった親の子育て態度(子育てに積極的か消極的か)より、育て親の子育て態度をラットは引き継いでいるのだという。
 こういう例をみていくと、何でもかんでも単純にすぐ、染色体による遺伝で説明するのには懐疑的にならざるを得ないだろう。そして需要なのは、染色体によらなくても、環境や学習によって、行動の遺伝は十分に可能であり、また現にそうなっているということである。
 上に紹介したように、「「本能」という言葉にごまかされずに、行動とその発達について深く追求していけば、遺伝子、細胞、行動、物理的・社会的・文化的環境が能動的に相互作用して、われわれの行動と認識を形づくっている」、のである。


○著者は生得論に対し厳しい批判を展開している。生得論とは、人間はある程度の知識は概念を生まれながらに持っているという考え方である。
生得論者の実験に対する著者の批判は鋭い。自分たちの都合のいいようにデータを解釈し、発達過程の重要性に目を向けていないのではないかというのである。著者の意見は妥当だと思う。著者の主張のように、本書で紹介されていた生得論裏付ようとする実験は、どれも結果を恣意的に解釈している、と思う。
 そもそも、言語も話せないし、好奇心旺盛で、かつ道徳的な問題からこちらの意図通りの制約をかけにくい人間の赤ちゃんに対して有意な実験をするのは難しいだろう、と感じた。


○研究者の実験とその考察を鵜呑みにせず、批判的に検証しようという態度はお手本になる。