ヒトの変異 人体の遺伝的多様性について

ヒトの変異 人体の遺伝的多様性について
アルマン・マリー ルロワ (著) 上野 直人 (監修) 築地 誠子 (翻訳) 2006 みすず書房

内容、裏表紙より

 その昔、重い奇形をもつ人々は「怪物」とみなされた。いま、奇形は遺伝子の働きを知るうえで、貴重な手がかりとなっている。その間には体づくりの謎をめぐる、数百年にわたる混乱と探究の歴史があった。ヒトの変異の博物学・文化史・科学史は、不可分に縒り合わされている。
 「私たちはみなミュータントなのだ。ただその程度が、人によって違うだけなのだ」。科学者は違いの原因となる遺伝子を探し、その文法を見出す。それが「私たちはなぜこのような形をしているのか」という問いへの答えにつながる。重い奇形の原因が、約30億の塩基対のうちのたった一つに起きた変異である場合もある。体づくりの精妙な仕組みに驚嘆し、多様性の謎が解けると同時に、違いの源がいかに私たちの直感に反して微かであるかを発見する。発生生物学者たちを虜にするそのスペクタクルを、本書は垣間見せてくれる。
 人体の遺伝的多様性の原因を科学的に解明することは、不当な差別を助長するのではなく、無化するはずではないか? 著者が改めて提起するこの問いが、賛否に拠らず軽視できないものであることは、「怪物」から「遺伝子のわずかな変異」への旅を知った読者には明らかだろう。

感想

 「ヒトの変異」と名うつ本書。遺伝的な疾患により、ヒトに発生する多数の障害が紹介される。
各章の副題をみると、その広範囲さがわかるだろう。胚の体軸、顔、手足、骨格、身長、性、皮膚、老化、、、
 これらの障害の例とその原因、探求の歴史などを考察することにより、それぞれの遺伝子が私たちの身体をどう形作っているのかや、体の仕組み、発達の仕組みの一端を明らかにしようとしている。
それらをみていくと、人間がいかに不完全であるかがよくわかる。私たちの多くはしばしば、生命の神秘、命の複雑な調和にため息をつく。しかしそれは極めて危うい均衡のうえにたち、たくさんの不調和の可能性を内包したものなのだ。
 また、人間も動物の一種であることを痛感させられる。動物は自然淘汰の結果である。人間は自然淘汰というシステムを利用して、動植物を古代から改良すらしてきた。その一方で人間も、自然淘汰という、システムの結果に過ぎないのである。
「多少有害な変異をたまたま大量に持って生まれた人もいれば、少なめに持って生まれた人もいる。めったにないことだが、破壊的なダメージを与える変異をたまたま一つだけ持って生まれた人もいる。ならば、ミュータントとはいったいどういう人をさすのだろうか? 答えは一つしかない。それは、私たちが日常、健康や病いについて感じることと同じだ。私たちはみなミュータントなのだ。ただその程度が、人によって違うだけなのだ。」p19

メモ

「四肢(手足のこと)には、とくに奇形になりやすい性質がある。名前の付いた先天的疾患には、ヒトの体のどの部分よりも四肢に出るものが多い。なぜだろう? (ry)不完全な四肢がこれほどたくさんあるのは、単になくても平気だから、少なくとも生きていけるから、というのが最大の理由ではないだろうか? 手の指が余分にあったり、脛骨がなかったり、手足が一本まるっきりなかったりしても、子宮の中で順調に育ち、生まれてくる子どもたちがいる。彼らはその他の点ではいたって健康だ。子どもたちが生き延びるので、私たちは彼らの障害を目にするのだ。」p97