ボクの立ち位置

 望ましい社会システムについて人と議論したり、人の主張に感じる違和感を分析したりしていると、だんだん自分の立ち位置がみえてくる。
自分の価値観が明らかになる。
2010年、12月現在、ボクはどんな価値観をもっているのか? それを少し整理してみよう、と思いたった。
 自分がどんな立ち位置でものを考え、現象を評価しているかということをはっきりさせるのは、自分を知るうえでも、他人を理解するうえでも、大切だろう。
またそれはいつか、23歳の自分を振り返るときのよすがになるかもしれない。
 もっとも、己が心に内在する価値観を日本語で説明するということは、所詮既存の概念の枠に当てはめることに他ならず、なんらかの異同が生じるのだが。

A リベラル

 ボクはかなりの自由主義者。人は自由にものを考えられるべき。人は自由に行動できるべき。人は自由にものを言えるべき、書けるべき、表現できるべき、発表できるべき。何かを強制させたいのなら、それ相応の理由(人に多大な迷惑をかけるなど)が必要だと思う。これは法律はもちろんだし、明文化されていない社会規範もそうあるのが望ましいと思う。

B 国はできるだけ市場に介入すべきではない。

 これは基本。国はできるだけ市場に介入すべきではない。市場の結果に任せるべき。しかし最近跋扈している市場原理主義には絶対にくみしない。教育や医療、環境問題など、市場に任せていてはまずいものがでてくるということなど、これも基本中の基本である。よって市場に任せていてはおかしくなる分野(教育、軍事、医療、環境など)においては、きちっと説明したうえで、規制すべき。
また、独占や寡占がおきないように、ある程度の監視と排除も必要だ。

C 日本国という共同幻想は大切。

 ボクはこの、日本という国に生まれ、この文化、社会システム、気候、自然環境、生態、風土、歴史に育てられた。そして、他の何よりも日本というシステムについてよく知っている。この、国という共同幻想は大切だと思う。日本が1番目。
 ただし、このことは世界がどうなってもいいということを意味するのでは全くない。順番の問題。

D 違う価値観は尊重するべき。

 違う価値観や文化はできるだけ尊重すべき。
 違う価値観を認めなくてもいい、賛成しなくてもいい。しかし、違う価値観が他の価値観を排除しない限りにおいて、それは尊重するべきだ。あるいはほっとくべきだ。攻撃してはならない。

E 人は悪くない、憎むべきではない。悪いのはシステムである。憎むべきはシステムである。

 人は悪くない。もちろん絶対的に「悪」といえるような人も、一定の割合で存在するだろう。それは遺伝的多様性がある限りしようがないことだ。どうしようもないことだ。そういうことをくやくや考えても意味がない。
 一定の割合で悪い人はいる。それは、人が酸素を吸って生きているのと同じくらい自明のことである。
 だから、問題にすべきはシステムの方だ。
 人はシステムの中で動く。システムにそって動く。システムによって考え方や行動は制限される、制御できる。
 よって、人は悪くない。憎むべき対象ではない。あるいは、悪いといってもしようがない。悪いのはシステムである。システムを憎むべきである。
 問題が生じれば、システムを変えるべきだ。

F 残酷な歴史は、感情面では風化させた方がいいのではないか。

 人類はその身体に、残酷な歴史を刻んできた。
 残酷な歴史を記録として残すのはいいだろう。ときに、人類の残酷性を反省する材料にするべきだ。
 しかし、それは感情面では風化させた方がいいのではないか。他の文化文明に対する憎しみの感情は風化させて方がいいのではないか。でないと、いつまでも仲良くできないと思う。
 昔の恨みを、祖先の恨みを、忘れ、風化させることができるのは、人間の一つの救いだと思う。
 残酷な歴史は記録としてしっかり残すべきだ。しかし、それは冷静で客観的な記録でなければならず、また感情に訴えるべきではない。平時は図書館の奥底に放り込んでおけ。

G 自然は守ろう。なぜなら、それが人にとって心地よいから。

 自然は守ろう。生物多様性を維持しよう。
けれどもそれは地球を護るためではない。これまで人間は地球や生物を護ってきたことなんかこれっぽっちもない。これまでしてきたのは、あくまでも利の追求だ。かわいい生き物(パンダやツルやシロクマやイルカやアザラシなど)は気持ち悪いくらい保護する。そう、その方が心地よいから気持いから。その一方で、気持ち悪いというだけで生き物を忌避し殺しさえする(ヤスデやクモなど)。そして、生物を人間の都合のいいように改良もしてきた(ウシ、ウマ、ブタ、ニワトリ、バラなど)。これまでもそうしてきたし、これからもそうするのだろう。人間は自然を利用するのだ。
 自然はできるだけ守ろう。生物多様性をできるだけ維持しよう。
そう、そのほうが人間にとって心地よいから。
 そして、自然はできるだけ守られたほうが好ましいと感じる、この人間の特性は、一種の救いである。

H 機会平等はもちろんだが、ある程度、結果も平等な方が良い。

 その方が全体が幸福であるという研究結果が出ているから。
「不平等が健康を損なう」→http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20100801/1280590891
 それにいかなる成功者も、本人の努力・才能はもちろん、周りの環境(家族、友人、親戚)のおかげだから。恵まれた人は恵まれなかった人に還元すべき。