もういい加減、性善説?or性悪説?はやめようよ
あなたは性善説ですか?それとも性悪説ですか?
未だにこんなくだらない質問が面接やれなんやれでなされると聞いた。
いったい、これほど不毛な問いがあるだろうか。いったい、これほどバカげた問いがあるだろうか。
結論?
性善説も性悪説も完全な見誤り。
人間は「自然環境」や「異性からの選択」、「集団を構成し協力関係をきずかなければならない」といった淘汰圧に適応した(身体構造のみならず)精神構造を進化の結果としてもっている。
それに対し、とある時代のとある社会規範に合致したものを、とある時代のとある社会の人々は「善」と呼び、反するものを「悪」とラベリングするのである。
だから、人は「善」に生まれるわけでもなければ、「悪」に生まれるわけでもない。
平気で嘘をつく精神構造を持つ人がいたとして、それはまぎれもなくヒトというある個体に形成された一面。
絶対に嘘をつかない精神構造を持つ人がいたとして、それはまぎれもなくヒトというある個体に形成された一面。
普段は嘘をつかなくとも、ここぞというときや小さなプライドを守るためについ嘘をついてしまう精神構造を持つ人がいたとして、それはまぎれもなくヒトというある個体に形成された一面。このあたりが一番多いんじゃないかな。
進化の結果として形成されたヒトという個体や、種ぜんたいにみられる精神特性を、その社会規範に則り「善」とラベリングしたり、「悪」と呼んだりする。
だから、人は「善」に生まれてくるわけでも、「悪」に生まれてくるわけでもない。性善説、性悪説は順番が逆である。もはや、性善説?or性悪説?の問いは著しく不毛。
結論?
人から、性善説ですか?性悪説ですか?と聞かれたら、とりあえず、悩むふりをしながら「性善説です!」とでも答えておけばいいんじゃね?
そっちの方がたぶん好感を持たれると思うよ。
だって人はどこかで自分を信じてほしいから、ただ受け入れてほしいから。性善説は左につながる。
だから豊かな表情を心がけながら、少し悩んだふりをした後、「でも私は人間を信じています」とでも笑顔でぬかそう!
《20080426の記事》