人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりもたやすい

人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりもたやすい


     ラ・ロシュフコー箴言集第六版(1693) 二宮フサ、1989訳出 岩波書店


 この言葉は「ラ・ロシュフコー箴言集」におさめられている。 箴言とはいわゆる格言のこと。ラ・ロシュフコーはフランスの名門貴族。1600年代を生きた。このころ、貴族たちが集まって、ワインなどを飲みながら、気のきいた、格言じみた皮肉を言い合うことが流行ったのである。 ラ・ロシュフコーはそのなかでも、格言じみた皮肉の名手だった。彼の箴言は多くの貴族たちを魅了した。それを集めたのが、「ラ・ロシュフコー箴言集」なのである。


 この箴言が意味するところは何だろうか? ここでは、「人間一般を知ること」と「一人の人間を知る」ことが比べられている。そして、『「人間一般を知ること」は、「一人の人間を知る」ことより簡単だ』といっているわけだ。


 この言葉の言いたいことは後者にあるだろう。分かりやすいように後者を主題にすると、『「一人の人間を知る」ことは、「人間一般を知ること」より難しい』となる。具体的にいうと、「花子くんは○○な人間だよね」ということは、「人間は○○な生き物だよね」というより難しい、ということなのだ。


 人間というのはどんな生き物か。視点はいろいろあるだろうが、ある程度すらすらと出てくるだろう。しかし、意識と人格をもつ個人としての○○くんは、どんな人間かすらすら言えるだろうか? 自分の友達でもいい。隣に座っているクラスメイトでもいい。彼について、どのような人間かすらすらと言えるだろうか? おそらくなかなか言えないだろう。


 人間がどのような生き物かいうのに比べ、個人がどのような人物かいうのは難しいのだ。
 さまざまな性格。さまざまな環境。一人一人の個性は実に多様だ。立場。雰囲気。時間。温度。気分。一人一人の間で結ばれるコミュニケーションは実に多彩だ。理性。感情。その狭間でオコナイとココロが揺れ動く人間は、まるで万華鏡だ。


 一人の人間について知ることはとても困難である。しかしだからこそ、人間と付き合うことは面白い。僕は、 ラ・ロシュフコーの言葉をこう読みたいのだ。