春と修羅・序(宮沢賢治)

  春と修羅・序


            宮沢賢治


わたくしという現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電灯は失われ)


これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつづけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとおりの心象スケッチです


          『春と修羅』(宮沢賢治、1924年)


 一年生のほとんどは今、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を学習していますね。宮沢賢治は日本を代表する近代作家の一人です。右はその詩集、『春と修羅』の最初におかれた詩の一部分になります。
 この詩において問題になっているのは、「人間」でもなく、「私たち」でもなく、「わたくし」という意識そのものです。この詩の語り手は、「わたくし」をどのように捉(とら)えているでしょうか? この詩は読み手に、美しいイメージとはかない認識をもたらすとともに、言葉の凄さをまざまざと見せつけます。