さんたんたる鮟鱇(村野四郎)

さんたんたる鮟鱇


          村野四郎


顎を むざんに引っかけられ
逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くったりした死
これは いかなるもののなれの果だ
見なれない手が寄ってきて
切りさいなみ 削りとり
だんだん稀薄になっていく この実在
しまいには うすい膜まで切り去られ
もう 鮟鱇はどこにも無い
惨劇は終っている


なんにも残らない廂から
まだ ぶら下っているのは
大きく曲った鉄の鉤だけだ


          初出:「抽象の城」(昭和二十九年)


 鮟鱇はアンコウと読む。あの、口のでっかい、ちょっと不気味な魚である。
 人に食べられ行くアンコウ。その死と消滅を、まばらに撮った連続写真のように、ダイナミックに切り取った詩といえるだろう。アンコウを引っかけていた「大きく曲がった鉄の鉤」の軋む音が、〈ある風景〉の余韻として効果的に効いている。


 「むざんに」「吊りさげられた」アンコウの「うすい膜の中」には、「くったくした死」があったという。「くったくした死」とは何か?


 「死」という概念はそもそも、〈死でない状態〉、つまり〈生〉という概念がなければ存在しえない。
 ただこの詩で描かれるのは、アンコウが、自身の痕跡を一片も残さず、いかなる意味でもただの〈無〉になりゆく風景である。そこに、かつてあったであろう「生」の輝きをみいだすのは難しい。以上をふまえるならば、「くったくした死」とは、〈快活な生〉の終焉にその対照としてむかえるものなどではなく、〈生あるものにつきまとう虚無〉のなれの果て、あるいは〈虚無〉そのものではないだろうか。