論理病をなおす! 処方箋としての詭弁

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論理病をなおす! 処方箋としての詭弁
香西 秀信 2009  筑摩書房

内容(カバー折口より)

論理ではなく、詭弁を身につけてみないか?詭弁と聞くと、子供だましの芸当と聞こえるが、口先だけ達者になることではない。詭弁には、思考そのものを鍛える力がある。人が詭弁を使う時、その人特有の癖があらわれる。その癖を見抜くことで、思考のパターンが理解でき、おのずと論議も強くなる。論理的思考に満足しない人のための一冊。

感想

○香西さんの本は何冊か読んでいて、僕はその多大な影響を受けているので、もはや「香西先生」と読んでしまうほどだ(他の人にはそんなことはしない)。

今まで通り、自分を過度に卑下しつっこんだり、独特のウェットに富んだりと、抱腹絶倒間違いナシだ。本書は特に「あとがき」がそうだった。

何冊読んでもおもしろく勉強になるのだが、惜しむらくは、別な著書で述べていることの使い回しが多いことだ。何度既読感をもったことか。それでもおもしろい、いや、すんげーおもしろい。だからこそ、僕は香西さんの本を何冊も読んできたのだが、そろそろ別な仕事を見たい。

例えば、僕はこんな本を期待しています。香西さんは大学で、学生の批判精神を高める授業や演習をしていることと思います。その実践や効果を、もっともっともっと教えてください。公開してください。活用させてください。



○なお、本書では次の詭弁が整理される。
・相手の言葉の曖昧さを利用する「多義あるいは曖昧の詭弁」
・相手の言葉を歪曲して反論する「藁人形攻撃」
・論述する人間性を非難することで、論述される論理を批判する「人に訴える議論」
・少ない例から一般化する「性急な一般化」

、と同時に本書の特徴は、これらが詭弁として蔓延しているのは「詭弁にも三分の理」p14があるとし、なぜ私たちは「詭弁」に納得してしまうのか、分析しているところだ。
そして次のように断じている。「詭弁を研究、勉強することで、人間がものを考えるときの本質的な「癖」のようなものが見えてくる」p14、と。
いわゆるバイアスと呼ばれるものと同じだと思う。〈思考すること〉を重視するなら、私たちがどのようなバイアス(思考の癖)をもっているか知ることはとても大事なことである。その癖を乗り越えたところに未踏の真理があるはずだから。



○議論とはより正しい結論を導くために行う、と一般には考えられている。しかし著者は多数の議論を研究してきた結果、次のように喝破する。
「議論とは、言葉で他人を支配し、自分の精神を伝播させようとする営みである。」p33

なるほど、人は自分の意見が正しいと思い込み、それを他人に押し付けるために論理を組み立て、議論するというのだ。著者の指摘は全くその通りだと思う。私たちは議論の、この利他的で傲慢な側面から目をそらすべきではない。しっかりと受け止めるべきである。

しかしこの現実を受けとめてなお僕は、「議論とはより正しい結論を導くために行う」と言いたい。そういえるような精神でありたい。そういえるような集団にしていきたい。

非現実的な妄言かもしれないが、それでもまず理想を語りたいのだ。