ワイルド・ソウル

ワイルド・ソウル
垣根涼介 原著2003 新潮社

内容、カバー裏面より

(上)その地に着いた時から、地獄が始まった――。1961年、日本政府の募集でブラジルに渡った衛藤。だが入植地は密林で、移民らは病で次々と命を落とした。絶望と貧困の長い放浪生活の末、身を立てた衛藤はかつての入植地に戻る。そこには仲間の幼い息子、ケイが一人残されていた。そして現代の東京。ケイと仲間たちは、政府の裏切りへの復讐計画を実行に移す! 歴史の闇を暴く傑作小説。

(下)俺たちの呪われた運命に、ケリをつけてやる――。日本政府に対するケイたちの痛快な復讐劇が始まった! 外務省襲撃を目撃した記者、貴子は、報道者としてのモラルと、彼らの計画への共感との板ばさみに苦悩。一方ケイと松尾は、移民政策の当時の責任者を人質にし、政府にある要求をつきつける。痛恨の歴史を、スピード感と熱気溢れる極上のドラマに昇華させた、史上初三冠受賞の名作。

感想

マッチョな主人公たちがマッチョな復讐劇を繰り広げる、マッチョな小説。痛快でおもしろい。1960年代からはじまる日本の南米への日本人移民政策を物語の背景とする。日本人移民は、約束とは異なって農業できないような過酷な土地にほうり捨てられ、その多くが病死し、あるいは困窮していったという。過去、日本国がおかしてしまったとんでもない政策について、勉強の取っかかりになる小説である。

ただ、「取っかかり」と表現したように問題の本質にぐいぐい迫っていく、というよりは物語のスパイスに使われているといったところ。良いとか悪いとかいう意味ではなくて、本書はただの娯楽小説。そう感じた。

古事記講義

古事記講義
三浦 佑之 文芸春秋 2003

内容、出版者ウェブサイトより

古事記の神話・伝承は、様々な情報の宝庫である。『口語訳 古事記』で記紀ブームの先駆けとなった著者が、四つのテーマからその深みに迫る、初心者にも専門家にも刺激的な集中講義。古事記で語られる伝承の多くは、権力に向き合い、あらがって滅び去る者たちへの共感を抱えている。古事記をより面白くより本格的に味わう本。

メモ

古事記に語られる伝承は日本書紀と比べると、(スサノヲやオホナムヂが主人公となる出雲神話)や(ヤマトタケルの物語)、(マヨワとツブラノオホミの物語)のように権力に向き合い抗って滅び去る者たちへの共感を抱え込んでいる。それが今でも古事記を魅力的な文学作品にしている理由の一つ。ヤマト王権の外部、あるいは王権と外部との狭間にいて、国家や王権にある種の違和や矛盾を感じる者たちこそがこのような物語を語ることができた。

出雲国風土記には「コシ」の国に関係する記事が目立つ。日本海を交通路とした交易圏が存在し、それがひとつの文化圏となっていたのではないか。

感想

古事記の世界観が人間や神々をどうみているのか、整理している。基本的な事柄を指摘しており、初学者むき。

人を動かす

人を動かす
デール カーネギー 山口 博 著 改訂版日本語訳1999 創元社

内容、出版者ウェブサイトより

人間関係の古典として、あらゆる自己啓発本の原点となったD・カーネギーの名著。常に机上において読み返す本として、重厚で華麗な装丁にあらため、四六判・上製(ハードカバー)とし、本文も読みやすく組み直した。本書は、社会人として持つべき心構えを興味深い実例をもって説得力豊かに説き明かして類書の追随を許さない。深い人間洞察とヒュウマニズムを根底に据えた感動の書。聖書につぐ世界的ロングセラー。

感想

自己啓発本として大変有名なもの。

・私自身、最近仕事でイライラして感情的な言動をとってしまうことが多く、反省しながら本書を読んだ。

・本書には人間関係や仕事をよりよくしていくうえでポイントになることが書かれている。例えば、人の名前を覚えて積極的に使おうや、相手に関心を向けて声をかけまた、ほめられる点を見つけ積極的にほめよう、である。これらは単純な効力でどんな場面でもひろくつかえるだろう。

しかし、なかにはもう少し留保の必要な主張もあった。「議論をさける」や、「相手の誤りを指摘しない」、といったたぐいである。これらは字面そのままの主張を本書はしているというよりも、「直接的な」議論を避け、自分の都合の良い方に議論を誘導するや、相手の誤りを指摘する際は相手の顔をたて婉曲的に述べたりほめることとセットで指摘するべき、といったところを意図しているのだろう。もう少しこれらの点をうちだしてもよかったと思う。

本文でも述べられてはいるが、ざっくり主張をまとめたものではこの留保が落ちてしまっている。私はこの留保こそが大切なのではないか、と思ったしだい。なぜなら、著者は物事をよりよくしていこうという正当なものに主眼をおいているのであり、たんに人とうまくつきあっていくことだけにはおいていないので。

・具体例がたくさん紹介されているが、統計的なデータや実験結果もほしい。実証的根拠が求められる時代だ。

・さきほど「本書には人間関係や仕事をよりよくしていくうえでポイントになることが書かれている」、と書いた。ただフト思うのは、人間関係や仕事をよりよくしていくのは、どうしてか? そして人間関係をよりよくしていくのはそれはそれでよいとして、どのように充実させていくべきか? ではないだろうか。

仕事をするにしても人間関係をよりよく円滑にしていくにも、私はそれを目的に生まれたわけではない。コミュニケーションオバケになりたくて生まれたわけではないのだ。ほとんどの人もそうだろう。もちろん仕事も人間関係もとても大切だが、そのなかに自分の「個」を見出しそしてそれを成長させたり、友人との間にうわべでない何でも言い合えるような信頼関係を築いていくことこそが大切なのだと思う。
本書を大いに参考にしつつ同時に、自分の在りようを見つめることも考えるべき本である。

メモ

・たんに非難するだけでは、相手の行動を変えるのは難しい。ほめることとセットで批判したり、自分のミスも認めたり、婉曲的に批判したりと、相手の顔をたてながら批判する必要がある。

・人とうまく関係を築いたり彼・彼女を動かすには、相手に「自己の重要感」をもたせることが必要。社会や組織にとってなくてはならない重要な人材、価値ある人材であると思わせるのである。

・相手の立場にたって、相手の欲求を喚起すると、人を動かすことができる。自分で思いついたようにしむけられるとよい。

・相手に感心をよせる。笑顔で接する。名前は当人にとって最も快い大切な響きをもつ言葉、相手の名前を覚えて繰り返し使おう。聞き手にまわろう。誠意をこめてほめる。道徳心にうったえる。競争意識を刺激する。期待をかける、よい評価を与え大いに元気づけると評価の通りに行動しようとする。

中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える

中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える
デイビッド・シャンボー 加藤祐子 訳 原著2013 朝日新聞出版

内容、背表紙より

中国は近年、アフリカでの鉱物採掘、欧州との貿易、中東の油田、ラテンアメリカでのアグリビジネス、東アジアに工場…世界各地にその足跡をつけている。経済活動が活発な一方、軍事力を近代化・増強し、文化的影響を世界に広めようともしている。そんな中国に対し、国際社会はグローバル・ガバナンスにおいて応分の役割や責任を期待する。長年のチャイナ・ウォッチャーとして定評のある著者は、中国は「未完の大国」と明言する。一般に思われているほど重要ではないし、世界への影響力もそれほど大きくない―と。
何が中国を突き動かすのか? 中国が本物の覇権国家になる日は来るのか?膨大な資料をもとに、外交、経済、軍事、文化、グローバル・ガバナンスなどを多角的・多面的に検証し、中国の実情と世界の未来を探る。

内容

・急速に発展し、これまで以上に国際社会に大きな影響を及ぼしている中国について、中国自身の自国に対する認知や外交、グローバルガバナンス、経済、文化、安全保障の六つの側面から総合的に検討することで、その影響力と今後の進展について論じている。

結論は次のようになろう。
「中国は本当の意味でのグローバル・パワーを持っていない (中略) 中国はグローバルなアクターだが、本当の意味でのグローバルなパワー(大国)には(まだ)なっていないというのが、私の主張だ。どう違うかというと、本当のパワー(大国)は、ほかの国や出来事に影響を及ぼすものだ。単に世界的な存在感があるというだけで、特定の地域や分野において物事の展開に影響を与えることがない国は、世界的な大国とはいえない。」p22

「中国は物事を動かしていないし、問題解決に積極的に貢献してもいない。むしろ中国はリスクを嫌い、きわめて自己中心的だ。中国の官僚は外交の中身よりも象徴性を重視することが多く、中国外交の主な目的は国内経済の発展促進や、中国共産党のイメージと寿命を守ることだ。そのせいで中国は国際外交の場で本来の実力をまったく発揮していないというのが私の結論だ。中国政府は自国の力にふさわしい国際的な責任を応分に担おうとしていないし、世界的なリーダーになろうともしていない。」p396 「崇高な国際的目標を原動力とした外交政策ではない。」p404

「中国がソフトパワーを持っていないというのは、大事な発見だ。中国は他国の人々をひきつける磁石ではないのだ。中国の政治システムや社会システムを手本にしようという外国はないし、文化に普遍性はなく、中国の経済的な経験は(見事ではあるが)移転可能ではない。それでも中国政府は国の国際的イメージを向上させようと、多元的で多国間の取り組みに莫大な資源を注ぎ込んでいる。しかし今のところ、その努力はあまり報われていない。」p397

・本書には中国の経済的な影響力や軍事技術の向上について詳述しているのだが、その発展の急速度には驚かされた。著者のいうように中国には本当の意味でのグローバルパワーはないのかもしれない。しかし経済力と軍事力はますます高まり、他国に対する影響力は増すだろう。本書でもくり返されているのは狭隘な愛国心の高さだ。力をもった中国共産党が種々の要因から、他国にそのパワーを行使しないとも限らない。歴史をみれば文化大革命をはじめ、自身の国益を大きく損ねるような驚愕の行いをしてきたし、インドやベトナムと国境紛争を重ねてきた。日本や南シナ海に対しても威嚇行動をくり返している。
本書は、中国は真の意味でのグルーバルパワーはない、とその影響力を冷静に分析するが、近隣諸国にとっては勢いづく愛国的で「法治」が未成熟な大国の出現は恐怖以外の何ものでもない。本書を読んでいてその思いを新たにさせられた。

メモ

・「中国は自国の歴史的アイデンティティーにきわめて強い自信と誇りを抱いている。しかしその一方で歴史的経験のせいで一部の外国人に対してきわめて敏感で強い不安を抱いているのだ。これが中国外交の陰と陽、強い自信と強い不安だ。」p86

・「アクターたちの行動が積み重なり、過去になく複雑な外交政策決定プロセスができあがっている。」p99
(自国の外交政策について多くの議論があり、国内でまとまっているわけではない)

・(グローバルガバナンスに対する中国のどっちつかずな態度や不信感の裏にある中国の政治文化に刻まれた三つの傾向
 1.国際環境は弱肉強食だ、という世界観。ゼロサムゲームと考え、他人に無関心で集団責任を負わない。公共財の考えを軽視する。
 2.「取引」重視の思考。自分の利益、費用対効果を重んじる。
 3.国家はなにがしかの方法で金や物を集めて、社会に公共財を提供するものであるという意識。税金の見返りをじっくり検討しはじめている。)p206

・「中国に関わり続けて、引き続き国際社会の制度、規則、法律、規範に取り込むしか、ほかに方法はない。中国の「平和的台頭」を調整するには、それが最善の手段だ。」p402

・「世界が心配しなくてはならないのは実は強硬で挑発的な中国ではない。心配するべきはむしろ、不安で、混乱していて、苛立ち、怒り、不満顔で、わがままで、喧嘩腰で、孤立した大国のほうだと私は思う。中国は何にも増して、豊かで、安全で、尊敬される国になりたいのだ。自分たちの文化圏で、誰からも干渉されずにいたいのだ。(中略)しかし国は豊かになっても、国の安全と国際社会の尊敬がついてこない。」p405

ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由

ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由
ジョシュア・フォア著 梶浦真美 訳 2011 エクスナレッジ

内容、出版社ウェブサイトより

古代ギリシャで知識人の必須のツールであった「記憶術」と、最先端の脳科学や一流のプロたちの技術習得の秘訣を学び、全米記憶力選手権で優勝するまでの1年を描いた全米ベストセラーの話題作。

われわれ一般人でも、訓練すれば記憶の達人になれるのか?
記憶力はせいぜいで人並みであると自称する新進気鋭の科学ジャーナリストが、古代ギリシャの時代から知識人の間で綿々と受け継がれてきた由緒正しい記憶術を武器に、1年で記憶力の全米チャンピオンに輝くまでを描いた実験ドキュメンタリー。
著者が体験した記憶力訓練の記録であり、また記憶力の競技会という奇妙な世界に生息する、愛すべき変わり者たちの物語でもある。
古代から中世にかけて、知識人の必須の教養であった「記憶術」の歴史も語られる。
脳と記憶についての科学的な考察もある。
記憶の魅力に取り憑かれた著者が、好奇心の赴くままに記憶の世界を縦横無尽に駆けめぐる。
読み物としても面白さと、知的興奮を与えてくれる1冊。

メモ

・(強いチェス棋士は盤面を見たときに前頭頭頂皮質が活発化している。つまり長期記憶にアクセスし、過去の記憶を呼び出している。)p85

・(人類の脳の進化は更新世ーー180年前〜1万年前ーーに起こったものが大半。この時期に行っていた狩りでの生活に適応するように私たちの脳は進化している。人間が視覚情報や地理情報を覚えやすいのはこのため。たいていの記憶のテクニックは覚えにくい情報を覚えやすい情報(視覚情報や地理情報)に変換して覚える。)p115

・(古代ローマでは、文法、論理学、修辞学と同様に、記憶力を向上させるテクニックは古典教育の中心とみなされていた。)p121

・(イリアスやオデュセイアーは同じプロットがくり返され、また「心の賢しいオデュッセウス」といった型どおりの表現がくり返される。これは暗記に必要な手がかりで、両文学が口承文学だったことの証。
繰り返し、リズム、決まった型、視覚化しやすいもの。これらは記憶しやすさを追求した結果。)p160

・(少なくとも中世後期までは、書物は記憶の代わりというよりも記憶を補助する役割を果たしていた。)p175

・(あるものごとに熟達すると無意識にそれを行えるようになる。「自律的段階」。それはそれで他のことに意識をむけられるので良いのだが、その段階にとどまっていると「あるものごと」の向上は望めない。プラトー状態という。
自分の技術に集中したり、目的を持ち続けたり、パフォーマンスについて常にすみやかにフィードバックを得るなどすることで、意識を「あるものごと」に向けさせると、プラトー状態を脱しさらなる向上をはかることができる。)p212

・(学習するには、事前に周辺情報を少しは記憶していないと学びたいことも頭に入ってこない)p258
「新しい情報の断片は、すでにある情報のネットワークの中に深く埋め込まれるほど記憶に残りやすくなる。また、記憶を埋め込むためのひっかかりとなる関連知識が多ければ多いほど、新しい情報は忘れにくくなる。」p260

・『ぼくには数字が風景に見える』(http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20130812/1376233212)で有名なダニエル・タメットは、サヴァンではなく記憶術を駆使した知的競技者ではないか、と指摘。
その根拠
 ・・ダニエルがみせる数学能力やカレンダー計算は記憶術などで十分可能。
 ・・数字を見るとイメージが浮かぶというが、そのイメージ、共感覚に一貫性がない。
 ・・かつて、「マインドパワーと記憶力向上のためのトレーニング」と題する広告を出していた。記憶力向上のためのトレーニングはサヴァンには不要のはず。
 ・・かつて、ウェブサイトの自己紹介に記憶術について言及。
 ・・共感覚者なら反応するはずの部位が、fMRI検査の結果、反応せず。p285

感想

・ストーリー自体はタイトルどおり、著者が「1年で全米記憶力チャンピオン」になった過程を追う。しかしそれ以外にも、「記憶」について幅広い視点から論述しており、おもしろい。古代ギリシャで残された記憶術、その進化生物学的理由、記憶と頭の良さとの関係、記憶が行動に与える影響、現在における記憶の意義、アスペルガーの研究からうかがえる記憶や認知の不思議についてなどなど。
これらが本書に学術的な価値を付しているのだ。

・文字を発明したときから、人類は自ら記憶するだけでなく、外部装置の助けを借りるようになった。技術の発展によりその傾向はますます高まっている。そのため、「記憶すること」を軽視する風潮も見られる。記憶量よりも、外部から情報を調達しそれを創造性へとつなげる能力が大事だ、というわけだ。
しかし、著者は「私たちが「専門技術」と呼んでいるものの正体は、「その分野に関する長年の経験の中で得た膨大な知識とパターンに基づいた情報検索、そしてそれをまとめる力」」p86である、と指摘している。
ニワトリの雌雄鑑別士やチェス棋士を例に、認識しているか否かにかかわらず、私たちは過去の記憶に照らし合わせて判断している、というのである。

「自分の人格と行動は、基本的に、自分が憶えていることによって決まる。」p87
「記憶と創造は同じコインの裏と表」p253
「どんなジョークも、発明も、洞察も、芸術作品も、少なくとも今の時点では、外部記憶によって作られたものではない。面白いことを見つける、複数の概念を結びつける、新しいアイデアを生み出す、文化を伝えるーーそういった行為の基盤には、必ず記憶の力がある。」p333

もちろん丸暗記だけが勉強ではないが、覚えることをあなどってはならないということだ。

・著者による記録の訓練は非常に泥臭い、まさに修練そのものだ。覚えたいことをそのまま、あるいはインパクトあるイメージに置きかえる。そして慣れ親しんだ場所を想起し、一つ一つ覚えたいことを配置していく。
それは豊かな創造性、五感を駆使したリアルな感性「キャラクターの外見、雰囲気、におい、味、音、歩き方、服装、社会的スタンス、性的嗜好、いわれのない暴力への立ち向かい方など」p229を地道に積み重ねて到達できる世界、「記憶の宮殿」p19である。著者の記憶力は自称のように「平凡な記憶力」かもしれないが、著者の創造性と並々ならぬ努力は、けっして「平凡」ではない。

古代ギリシャ古代ローマ、中世ヨーロッパにおける記憶の話、そしてそれを助ける書物の話が出てくる。しかしそれぞれの時代では技術的にも文化的にも強力に比肩していた中国世界、あるいはアラビア世界の話が全く出てこない。中国については縄文時代後期にあたる時代から、思想や歴史が連綿と書き連ねられ、古代の時点ですでに豊穣な世界を築き上げている。中華世界やアラビア世界で記憶と書物が彼らの文化のなかでどう位置づけられてきたのか。さすがにノー検討では片手おちだろう。

「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年

大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年
加藤聖文 2009 中央公論新社

内容、カバー折口より

大日本帝国」とは何だったのか。本書は、日本、朝鮮、台湾、満洲樺太南洋群島といった帝国の「版図」が、一九四五年八月一五日、どのように敗戦を迎えたのかを追うことによって、帝国の本質を描き出す。ポツダム宣言の通告、原爆投下、ソ連参戦、玉音放送、九月二日の降伏調印。この間、各地域で日本への憎悪、同情、憐憫があり、その温度差に帝国への意識差があった。帝国崩壊は、東アジアに何を生み、何を喪わせたのか。

メモ

・「聖断下されるまでに無駄ともいえる時間を徒に費やし、原爆やソ連参戦を経なければ実現されなかった」「最大の原因は、天皇大権を軸としつつ実は巧妙に天皇の政治介入を排除した明治憲法体制が、天皇を補弼すべき者が国家運営の責任を放擲し、セクショナリズムのなかで利益代表者として振る舞った場合、制度的に機能麻痺が起こるという根本的な欠陥を抱えていたことにあった。」p54

・(満州や関東州はもともと国民党の影響力が強かった。しかし日本が敗戦しソ連の軍政下で共産党が勢力を伸ばす。さらにソ連の撤退に合わせて共産党軍が進駐。国民党軍は地理的に不利で行動できず。ここで中国東北を共産党が押さえたことが、4年後の共産党の勝利、国民党の敗北につながった。)p176

・(ソ連の侵攻により満州で死亡した民間人は、東京大空襲や広島の原爆、沖縄戦をも上回る。)p183

・「東アジアにおいては、第二次世界大戦終結を境に戦前と戦後を分ける捉え方は再考しなければなるまい。むしろ、大日本帝国の崩壊から国共内戦、さらには朝鮮戦争に至るまでを1つの歴史の連続体として捉えるべきであろう。またそれと同時に、日本列島、朝鮮半島、中国大陸などと細切れにされた地域の歴史としてではなく、それらを包摂したより広い地域を1つの歴史として捉える視野が求められよう。この時間軸と地域軸を組み合わせることで、これまでの一国史を超克した東アジアの新たな歴史像が生まれてくるのではないか。」p231

感想

・本書を読んでいくと、つい70年前の日本が、多方面の植民地をかかえた「帝国」だったことを思いおこした。今ではすっかり忘れられているが、日本はある種のグローバルな国だったのだ。

・その大日本帝国は、現在の各国の歴史に大きな影響を与えている。大日本帝国中国国民党との長きにわたる戦争はソ連の参戦もあり日本の敗戦が、結局、共産党の勝利という結末に大きく影響した。朝鮮半島は日本が負けたアメリカとソ連に翻弄され今でも分断が続いている。東南アジア各国は日本が西洋の植民地軍を駆逐したため、日本の敗戦により独立の好機を得、それが現在の政府につながっている。

大日本帝国がさまざまな民族やその歴史に残した大きな影響を再確認できる本だった。

参考になった書評

「 第二次世界大戦という力のぶつかり合いの結果、連合国は日本にポツダム宣言突きつけ、また、すったもんだの末に日本はそれを受諾する。そして朝鮮、満州、南洋、台湾は「解放」されたり「返還」されていくわけだが、それも直ちに整然とすすんだわけではなく、ダイナミックに、そして緩慢と、ある意味では「ぐだぐだと」行われたことがつまびらかにされる。
 米ソのパワーゲーム、泥縄式の日本、右往左往する現地の人々。
 ポツダム宣言に参加できない「戦勝国」の蒋介石、「日本に勝った」わけではないために憤懣を持つことになる南北朝鮮の代表、なし崩し的に瓦解する「満州国」、依然として存在する中国大陸の日本軍、比較的友好的・スムーズに引き上げの進んだ南洋、「終戦」後も戦闘のつづく樺太・・・。第二次大戦とはなんであったのか、日本の「大東亜共栄圏」も、連合国の「民族自決」も空々しく響く。
 そして我々日本人の第二次大戦、そして旧帝国領への無知や無関心、ねじれが鋭く問われることになるのである。」
(「「大日本帝国」「大東亜共栄圏」そして「日本」とは」、ishilinguist
)より
http://www.amazon.co.jp/review/R27BRHEQGU19PI/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4121020154&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books

(『地形を楽しむ 東京「暗渠」散歩』、本田創編著)より

(『地形を楽しむ 東京「暗渠」散歩』、本田創編著)より

(暗渠探索のおもしろさについて)
「もともと川だった暗渠も高いところから低いところへと続いていく。それをたどっていくことはそのまま地形に沿って土地を歩くことでもある。地形をなぞることで立ち上がってくる空間は、ときに新鮮だ。たとえば町名や坂名などの地名が、暗渠を意識することによって、たんなる名前ではなく地形と結びついて、関係性をもち立体的に浮かび上がってきたりもする。」p7

「 ふだんの生活で東京を行き交うとき、それぞれの場所は、駅や交差点により形成されたグリッドの中にプロットされて把握されているだろう。しかし、いったん暗渠や川跡がつなぐこのネットワークのレイヤーに気がつくと、地名や地形はつなぎ直され、駅前の風景の下に潜む、今まで把握していた座標系による姿とは異なった東京の空間が立ち現れてくる。」p8