黒い風琴(萩原朔太郎)

   黒い風琴


          萩原朔太郎


おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
あなたは黒い着物をきて
おるがんの前に坐りなさい
あなたの指はおるがんを這ふのです
かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。


だれがそこで唱つてゐるの
だれがそこでしんみりと聴いてゐるの
ああこのまつ黒な憂鬱の闇のなかで
べつたりと壁にすひついて
おそろしい巨大の風琴を弾くのはだれですか
宗教の激しい感情 そのふるへ
けいれんするぱいぷおるがん れくいえむ!
お祈りなさい 病気のひとよ
おそろしいことはない おそろしい時間はないのです
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつむときの松葉のように
あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい
お弾きなさい おるがんを
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。


ああ まつくろのながい着物をきて
しぜんに感情のしづまるまで
あなたはおほきな黒い風琴をお弾きなさい
おそろしい暗闇の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!
ああ なんといふはげしく陰鬱なる感情のけいれんよ。


          初出:『青猫』(大正十二年一月)


 「風琴」とは耳慣れない言葉だろう。「ふうきん」と読む。オルガンのことである。


 この詩は、萩原朔太郎の代表的な詩の一つである。とても美しく、幻想的。静かで柔らかくあると同時に、とても激しい。この詩の見所の一つは、その音楽性である。例えば、一行目の「おるがんをお弾きなさい 女のひとよ」は、〈o〉音が並んでいる。また、各行の冒頭は〈o〉〈a〉音が多い。このように、「黒い風琴」は、流れるような音楽性をもった詩なのである(参考、近代詩鑑賞辞典)。


 語り手はうたう。重ねてうたう。「おるがんをお弾きなさい」と何度もうたう。そのリフレインからは語り手の興奮が伝わってくる。いやそれだけでなく語り手は、「おるがんをお弾きなさい」と繰り返しうたうことによって、ますます興奮していくのだ。そして、それを読む私たちも、興奮していくのだ。一見、語り手のうたう光景や例えは、やさしく柔らかいように思う。「女のひと」や「黒い着物」、「(おるがんを這う)指」、「(しめやかにふる)雪」といった言葉は、私たちに柔らかく繊細なイメージを残す。しかし、このうたの本質は激情ではないか。例えば、「お弾きなさい」のリフレイン。何より第二連七行目、「けいれんするぱいぷおるがん れくいえむ!」は、とても「かるく やさしく しめやかに ゆきのふつてゐる音のやう」な音楽とは思えない。女のひとだけではなく、語り手こそ、抑えようとも抑えきれぬ激情にうち奮えているのである。


 語り手は「女のひと」に対し、「まつくろのながい着物をきて」「おるがんをお弾きなさい」と言う。なぜ、「黒い着物」を着なさいと言うのだろうか。「まつくろのながい着物」は喪服を連想させる。また、「女のひと」が、「まつ黒な憂鬱の闇のなか」に居ることを考えれば、「まつくろのながい着物」を着た「女のひと」の精神は、「まつ黒な憂鬱の闇」に浸食されてしまったようにみえる。それを明示するのが「まつくろのながい着物」なのではないか。そして、「女のひと」が弾くのは「黒い風琴」なのである。


 「女のひと」は、「まつ黒な憂鬱の闇のなか」にいる。それだけでなく、纏っているものもオルガンも、憂鬱を暗示する黒色である。語り手は「おるがんをお弾きなさい」と繰り返す。それは暗闇からの〈救い〉になるのだろうか。「やさし」い例えとともに、「あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい」という語りは、オルガンを弾くことがすなわち、「女のひと」にとって暗闇からの〈救い〉となる可能性を示唆する。確かに、「女のひと」は、オルガンを弾くことによって〈救い〉を感じているかもしれない。しかし、そのオルガンを弾くという動作は、「はげしく陰鬱なる感情のけいれん」だと、語り手はうたうのだ。また、「宗教のはげしい感情」、「けいれんするぱいぷおるがん」、「熱心に身をなげかける」といった表現もある。暗闇からの救いを求めて熱心にオルガンを弾く。それを語り手は「けいれん」と見ているのだ。もはや語り手は、「憂鬱の闇」から〈救い〉を求める行為を、狂気に近い行為とみているといえるのではないだろうか。


 この詩では、「女のひと」に対し、明確な〈救い〉は示されていない。最後まで「女のひと」は、「おそろしい暗闇の壁の中」だ。いやむしろ、〈救い〉を求める行為は、語り手にとって「はげしく陰鬱なる感情のけいれん」なのである。だから、「女のひと」は「まつくろのながい着物」を着ているし、オルガンも「黒い」のである。


 語り手は、オルガンを弾くことが結果として〈救い〉にならないみているのだろう。それでも「おるがんをお弾きなさい」と繰り返し、感情を高ぶらせる語り手に、僕は彼の、人間に対する〈救い〉への焦燥を感じずにはいられないのだ。そう、逃れられぬ冷酷な現実に直面する人間への。