世界を信じるためのメソッド(ぼくらの時代のメディア・リテラシー)

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世界を信じるためのメソッド(ぼくらの時代のメディア・リテラシー)
森達也 2006 理論社

内容(「MARC」データベースより)

メディアと情報の洪水のなかで、ぼくらはなにを疑い、なにをどう信じ、考えていったらいいんだろう? いま子どもたちに、若い人たちに、そしてわれわれ大人にとって切実に必要で、もっともビビッドなメディア・リテラシー

メモ

「あなたが今持っているこの世界のイメージのほとんどは、テレビや新聞や映画や本などから与えられた情報で、作られている」p20


「メディアが間違えず、そしてだまされていない場合でも、報道の仕方によって、事実はいろんな形に変化する。(中略)つまり物事は、どこから見るかで全然違う。なぜなら世の中の現象はすべて多面的だからだ。」p93


「中立公正な報道など、ありえない。必ず人の意識が反映されている。それをつねに意識すること。つまり、自分が今目にしているテレビのニュースや今朝読んだ新聞の記事は、複雑な多面体の中のひとつの視点でしかないということ。これを忘れないようにしなければ、ニュースや記事がきっとこれまでとは違って見えるはずだ。」p116


「ある事件や現象に対して、メディアの論調は横並びにとても似てしまう。なぜならその視点が、最も視聴者や読者に支持されるからだ。」p129

感想

(世の中の現象は全て多面的だよ。しかしメディアはその一面しか切り取れないよ。しかも、その一面は読者が支持する面にすぎないことが往々にして多いよ。メディアが伝えていない面もあるんだよ。さらに、メディアは私たちが世界をどうイメージするか? という認識問題に絶大な影響力を持つから、注意してメディアの言説に接しましょう。批判的に、主体的に情報を得ましょう。)
というようなことが、書かれている。


強く共感する。


近年、NIE(ニュースペーパー・イン・エデュケーション)といって、学校の授業で新聞を使おうとする動きがある。
基本的に賛成だけど、それは絶対に、上記にまとめたことをきちんと理解させてからすべきだと思う。
そうでなければ、くだらないマスメディアの言説を盲信する、愚かな国民を再生産するだけだからだ。
国民が愚かであれば、ますます、メディアは愚かになる。


マスコミの言説は本当に中身がないものばかりだ。小学生でも書けるようなものばかりで中身が空っぽだ。当たり前のことしか書いてない。しかも理由をキチンと書いていない。
「もっとは話し合いをすべき」とか、「慎重に議論すべき」とか、「早急に対策を練るべきだ」とか、こういう表現を一度禁止してみたらどうだろう? 脳みそを使わなくても何か書けちゃう☆これらの表現を一度禁じてみればよい。
そうすれば、(本当の)意見が出るし、なにより、その理由をきちんと練らざるを得なくなるだろう。もしくは、もう、記者という素人が意見を表明できる時代は終わったのかもしれない。専門家が個々の意見をぶつけ合い、市民それぞれに真を問う時代になったのかもしれない。


インターネットの発達により、専門家の意見や、一次情報にある程度簡単に接することができるようになった現代、最も必要なのは批判的思考力だと思う。
甘い幻想を見ていると言われるかもしれないけれど、一人一人がそれを身につけることによってのみ、よりよい民主主義は成立するのではないだろうか。