ライ麦畑でつかまえて

超おすすめ!
ライ麦畑でつかまえて
J・D・サリンジャー 野崎孝訳 1979 白水社


【アマゾンより】
1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。


――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。


ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら(いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない)と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。


【雑感】
有名な小説。それに、攻殻機動隊SACにもモチーフとして登場しているのでいつか読まないとと思っていた。


期待以上におもしろかった。


本小説は、主人公ホールデン・コールフィールドの語りによる一人称となっている。大人の欺瞞に対する強烈な忌避感と説明できない不満、先入観、背伸びに充ち満ちた語りは新鮮だった。いや、懐かしいというべきか。16歳という微妙なお年頃のホールデンによる、この語りこそ本書の魅力と言える。青年の、屈折はしているけれど、素直な感情は美しい。世界を見るホールデンは、的確に人や物事を捉えていて、私たちは彼の語りを聞きつつ、彼の感情で豊かに彩色されたはっきりとした世界を想像するだろう。


本書はホールデンの語りによっている。ということは、私たちが読んでいるものは、ホールデンの目を通した世界でしかないわけだ。だから、ホールデンの語りを、すなわち真実と受け取ることはできない。


ホールデンとその他登場人物との間で交わされる会話からは、ホールデンの認識とその他登場人物の認識のギャップを見ることができるだろう。最も顕著なのは、ホールデンは自分自身を大人と思っているが、周りはあくまでホールデンのことを子供としか見ておらず、子供として対応している点だ。ホールデンの見る世界とその他の登場人物が見る世界。これらのギャップが本書のおもしろさの一つだと思う。


また、これらのギャップが読者にのみ明瞭に見えている点もおもしろい。
それだけでなく、読者にはホールデン言語化しない感情がはっきりと見えるだろう。何度も電話をかけ続けるホールデンに、読者だけはまごうことなく彼の寂しさを見る。


ホールデンの発話からは、ホールデンが相当の読書好きであることが窺える。


ホールデンの妹、フィービーは物語後半でホールデンにこう言い放つ。
「兄さんは世の中に起こることが何もかもいやなんでしょ」p238
ホールデンの語りを読むなかで、私もそう感じた。
ホールデンの見えてないことを、こんな風にその他登場人物は指摘する。
これも、「ホールデンから見た世界」と「その他登場人物から見た世界」の対立における目につくギャップだ。


【訳者解説より】
訳者、野崎孝氏による解説がハードカヴァーには付されている。文庫版にはどうやらついていないようだ。よく読んでないが、ネットを使った救済がなされているようである。かなり秀逸な解説だったので、いくつかメモしたい。


なお、この解説は出版社のウェブサイトにアップされている。
http://www.hakusuisha.co.jp/topics/rye20.php


○「作品の基本パターンをいえば、子供の夢と大人の現実の衝突ともいえるだろう。(・・・)ホールデンの言葉が誇張にみちて偽悪的なまでにどぎついのは、大人が善とし美としているもののまやかしを何とかして粉砕しようとする彼の激情の所産である。(・・・)相手にプラスを与える性質の言葉(ex幸運を祈るよ)を、自分の真意以上の効果を孕ませて口にすることはいやらしい。ホールデンの反撥の基本的なものはここにある。」p302


→かねがね同意する。もう一つの肝がやはり彼の見た世界と彼を見る世界のギャップだろう。


○「ホールデンの住む世界には、そうした彼に共感する人間はいなかった。そこで彼は、「孤独だ」「気が滅入った」と繰り返しながらも、心のつながりを求めて遍歴を続けるわけである。」p302


○「ホールデン少年が最も敏感に嗅ぎわけて、最も烈しい嫌悪と侮蔑を示すのは、彼のいわゆる「インチキ」なもの、「いやらしいもの」に対してであることは前にのべたが、これは法律上の罪などでは無論なく、倫理的な悪でもなく、単なる嘘やごまかしでさえなくて、精神の下劣さ低俗さ、根性のきたなさ、そこから来る糊塗、欺瞞、追従といった性質のものである。その不潔さを、思弁的に決定するのではなくて感覚的に感じとり、反射的に反撥するのだから、ことは明快で迅速で、まことにすがすがしい風が全篇を吹き抜けることになる。」p303


《20080630の記事》