進化と人間行動

おすすめ!
進化と人間の行動
長谷川寿一 長谷川眞理子 2000 東京大学出版会


【雑感】
本書は、東京大学教養学部1・2年生向けの総合科目「適応行動論」のテキストとして書かれたものという。
それだけあってか、進化と人間の行動について広範囲にわたってわかりやすく解説してあり、進化心理学(あるいは進化と人間の行動)を学ぼうとするものにとっては非常によい入門書になっている。


「ヒトという生物の本性、人間に特有の行動様式や感情システムというものがあるだろうか、あるとしたら、それらはどのように進化してきたのだろうか、というのは話題の中心です。」P45


本書の中心的メッセージは「ヒトの心や行動の成り立ちを説明する上で、進化理論が不可欠な基本原理だ」p3ということである。これは「ヒトは生物である」→「ヒトは進化の産物である」→「ヒトは、他の生物と同様に、主に適応的な進化の過程によって形作られてきた」→「生物に共通の進化と適応の原理を考慮することは人間理解に大きく貢献するだろう」→「ヒトの心や行動の成り立ちを説明する上で、進化理論が不可欠な基本原理だ」という自然な流れから導き出される。


こうして書かれてみれば至極当然のようだが、現実は極めてそうなっていない。私の周りでも進化生物学について正確な知識を持っているものはごくわずかだ(社会学の教授ぐらい?)。
進化生物学はこれほど重要な学問であるにもかかわらず、高校の生物でもその扱いは十分とはいえない。
筆者らは本書の前半において、進化理論によくある誤解(進化は進歩ではない、進化の単位は種でなく遺伝子、進化に目的はない、人間は生物の頂点にあるわけではない、遺伝的にそうなっているからといってそうすべきという問題とは全く別)をわざわざ丁寧に否定している。そう!現実では私もいらいらするほど進化理論に対する誤った認識が広まっている。いい加減にしてもらいたいもんだよほんと!
私の所属する大学の認知心理学の教授ですら、「進化心理学」という言葉を知らなかった。これをみても、進化理論という極めて重要な科学理論がどれほど人文系の研究者らの間で知られていないか分かるだろう。私に近しい某教授も進化理論について誤解したまま講義をしている(進化理論は現実の競争主義とは全く関係ない!)。また、教育学部の非常勤講師×2も、どっかのバカ学部生の「進化では利他性は説明できない」とかいうふざけた発言を訂正しないばかりか、「よく分かりませんが、科学的説明をしてくれました」とか言って褒めやがった。
これが20080705の現状。



人間も進化の産物である以上、人間の行動や感情も自然環境や生態的環境、姓選択に適応した結果、と考えるのが進化心理学である。私はこの進化心理学ほど恐ろしくまた魅力的な学問はないと思う。


どうしてか?


人間が近代科学を発展させて、この世の不思議はほとんど無くなった。まさに近代科学は暗闇と恐怖と不思議を照らし、それを明るみにした強力なサーチライトのようなものである。近代科学が発展する以前の人々は、地震をはじめとする天災を恐れた。近代科学はその化けの皮をはがし、人々はそれらを恐れなくなった。いやそればかりではない。古の人々は天災どころか暗闇すらを恐れたのだ。人間の関知することのできない世界。ろうそくの影がゆらめく世界。そこにはまさしく魑魅魍魎が息づいていた(古典文学を学ぶ一つの意義はこの世界観を理解することにある)。
近代科学は暗闇に、自然現象に、天災に、不思議に、強力な光を当てた。人々はそれらの原理をあばき、それらを恐れなくなった。
しかし、数少ない不思議として人間の心が残ったのではあるまいか。
数々の不思議を解き、宗教の担ってきた役割を根こそぎ奪ってきた近代科学(ここでいう近代科学は進化理論を除外している。本当は進化理論も近代科学の一つなんだけれどもね)も、人の心にどれだけ肉薄できたかというと疑問が残ろう。理性と感情の狭間で揺れる人間の微妙な感情という不思議。人の心は、近代科学がはっきりとは明らかにできない、厚いベールに包まれた最後の砦だった。宗教が担える最後の砦だった。
しかし現在、進化理論を人間の行動や感情に応用されるようになった。人間の行動や感情は、自然環境、生態的環境、姓選択に適応した結果に過ぎない。進化心理学こそ、これまで神秘のベールに包まれていた人の心という不思議に肉薄するものだ。もちろん進化心理学だけで人の心に迫れるわけではない。人はやはり多種多様な文化の強い影響の元にある。それでも、進化心理学は人間の心を探る最大のキーとなるだろう。
だから私は進化心理学に恐ろしさと強い魅力を感じるのだ。



本書は、このように人間も進化の産物であるという大前提にたって、人間の行動や心理を捉えなおし概説している。


ウィルソンやトリヴァース、ハミルトンの分厚い本を読む前の下準備としてもいいだろう。


さすが大学の教科書を目指しただけあって引用元がしっかりしていい。


さて・・・、本書に記載されていることはほとんど既知だったが、復習もかねて気になるところはメモしておきたい。


○「進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化すること」P22


○「①生物には、生き残るよりも多くの子が生まれる。
②生物の個体には、同じ種に属していても、様々な変異が見られる。
③変異の中には、生存や繁殖に影響を及ぼすものがある。
④そのような変異の中には、親から子へと遺伝するものがある。
この四つの条件が満たされていれば、生存や繁殖に有利な変異が集団の中に広まっていくことになるでしょう。この過程を自然淘汰といいます。」P25


○「遺伝子が変われば、あるタンパク質の組成または作られる量が変わり、それが変われば、特定の神経伝達のルートが微妙に変わり、それが変われば最終産物である行動が変わるでしょう(※SKYCOMMU注:からだの構造や生理機構だけでなく)。遺伝子はタンパク質を変えただけなのですが、めぐりめぐって、それは行動に影響を与えることができるのです。」「行動も自然淘汰によって進化する」P55


○どうして霊長類の脳は高いコストがかかるにもかかわらず発達しているのかというと、群れを作りその中で複雑な関係を維持しつつ、心の読み合いをしながら個体の利益を引き出しているからではないか。P92


大脳新皮質の大きさと群れの大きさとは相関関係にあるP96


○動物でもヒトでも血縁関係にあるものの利益を重視する傾向が見られる。 第6章


○中間子(長子でも末子でもない)は長子や末子に比べ、家族以外のところに興味を持つP159


○今こうむった損失が将来ある時点で埋め合わされるようなシステムであれば、互恵的利他行動が進化する。 第8章


○雄と雌、両性間の一回の繁殖から次の繁殖に取りかかるまでに要する潜在的な速度の差が大きいほど、異性を巡る争いは激しくなり、性差は大きくなる。一般に雄の方が、その速度が短いため、雄あまりが生じ、雌を巡る競争が激しくなり、性差が増大する。


○ヒトの雄と雌の体重比と、雄の体重に対する精巣の重さの比を、異なる配偶システムをもつ霊長類と比較することによって、ヒトは一夫一妻の霊長類の範囲に収まるが、少し大きいといえる。P208


○古人類の化石から雄と雌の体重比を調べると、ホモ・サピエンスに向かうにつれて、体重比が小さくなっている。よって、進化の初期のころには配偶者獲得をめぐる男性間の肉体的闘争がかなり強かったが、以後、徐々にその強度は減少してきた、といえる。P208


○農耕牧畜が始まり、男性間の富に差ができることによって、一夫多妻が可能になったのだろう。現在、一夫多妻をとっている社会でも相当の富がなければ、一夫多妻はできない。P213


○ペア・ボンドが生じたのは、女性が他の男性の暴力から身を守るために、特定の男性と持続的な関係を持つことが役立ったからではないかP221


○男性と女性の死亡率はどの年代をとっても、男性の方が高い。しかし、明治後半から戦前までの人口統計から算出した年齢別の死亡率の性差は、2歳〜40歳にかけて女性の方が高い。約18歳〜40歳代前半の女性の死亡率が男性より高かったのは、出産や育児に関連した疾病によるものだろうが、10代前半において女児の死亡率が高い理由は大きな育児差別があったからだろう。P155


《20080705の記事》