デミアン(エーミール・シンクレールの青春の物語)

デミアン(エーミール・シンクレールの青春の物語)
ヘルマン・ヘッセ 高橋健二訳 S26 新潮社


【背表紙より】
ラテン語学校に通う10歳の私、シンクレールは、不良少年ににらまれまいとして言った心にもない嘘によって、不幸な事件を招いてしまう。私をその苦境から救ってくれた友人のデミアンは、明るく正しい父母の世界とは別の、私自身が漠然と憧れていた第二の暗い世界をより印象づけた。主人公シンクレールが、明暗二つの世界を揺れ動きながら、真の自己を求めていく過程を描く。


【雑感】
本書を読み終わったとき、私はひたすらに困惑した。


本書は、主人公シンクレールが自己を追及した過程を描いた書といわれる。
前半部においてはそうだ。しかし、後半部において、もうシンクレールの自我は人間のそれを超越しているように思える。もっとも、本書はシンクレールの一人称であるため、後半部における人間を超越したような自我追及の記述も、単に彼の認識に過ぎない点には注意する必要があるが。


前半部における現実的な自我追及の記述と、後半部における神秘的な自我追及の記述という両者の乖離が私を困惑させたのだろう。現実的な苦悩に囚われていたシンクレールが、後半部においてオカルティックな方向に行くもんだから。


また、通読した後、文頭におかれた「はしがき」を読むと、戦争という名の殺し合いに、強い疑問を付していることが分かる。
「そのひとりひとりが、自然の貴重な、ただ一度きりの試みであるような人間が、おおぜい弾丸に当たって死んでいる。われわれが一度きりの人間以上のものでないとしたら、われわれのだれもが一発の銃丸で実際に完全に葬り去られうるのだとしたら、物語を話すことなんか、なんの意味も持たないだろう。しかし、すべての人間は、彼自身であるばかりでなく、一度きりの、まったく特殊な、だれの場合にも世界のさまざまな現象が、ただ一度だけ二度とはないしかたで交錯するところの、重要な、顕著な点なのだ。だから、すべての人間の物語は、重要で不滅で神聖なのだ。」p8


明るい世界と暗い世界。その間をさまようシンクレール。明るい世界を望みつつも、暗い世界に身を落としてしまう。その葛藤。苦しみ。後悔。孤独。
前半部の文章は、さすがヘッセと思わせるものだった。


後半部についてはどう評価しようか?後半部それ自体は個人的にあまりひかれなかった。神秘的な自我追求といえば聞こえはよいが、私はあんまりそんなことに興味はない。むしろ、前半部の現実的な自我追求の方がずっと高度で心うつ文章だった。
もっとも、前半部と後半部が有機的に連結されているならば、後半部もずっとずっと生きてくるはずだ。神秘的な自我追求それ自体も、現実的な自我追求に取り込まれるのだから。
僕が前半部と後半部に違和感を感じた以上、そうなっていないのかなあ。
関心がわいたらそこら辺をもっと突き詰めようと思うけれど、今日はこの辺で。テクストも返しちゃったし。


《20080709の記事》