狭いコミュニティに所属したことによってはじめてできた友達

半年ほど前のことだけど、よく遊ばせてもらってるバイト先の先輩からこう言われたことを思い出した。


「バイトで一緒じゃなかったら、例えば同じクラスぐらいの関係だったら俺たち一緒に遊んでなかったよな。」


よく遊ばせてもらってることから、この言葉に他意はないことは明らかだと思う。この言葉にはそれ以上の意味もそれ以下の意味もない。


つまり、私とその先輩は同じクラスだったとしても私的に遊ぶような関係にはならず、同じバイト先というもっと狭いコミュニティに所属したことではじめて私的に遊ぶような関係になっただろうということだ。


同感した。


私とその先輩はとどのつまり性格、思考行動パターン、指向、趣味、経験、興味、積極性、魅力の質、集団内での位置などにそれほど共通点がなく、例えば高校において同じクラスになったとしてもそれぞれ別な集団をつくりお互い私的に遊ぶほどの関係にはならなかっただろうというのだ。


その先輩は確かに、今まで僕がクラスという大きなコミュニティから自然と選んできた友人たちとは何かが違う。


何が違うのか?


性格などに共通点が少ないとさっき書いた。


でもそれは小さな問題だと思う。


何だろう?
はっきり断言できないけれど、クラスのような比較的大きなコミュニティにおいて、同じ群れを作らない可能性が高いだろうなという直感をどうしても感じるのだ。


性格の違いなどは小さな要因に過ぎないと思う。それより、集団内での位置の違いや魅力の質の違いにヒントがあるような気がする。


さて、私はその先輩とよく遊ばせてもらっている。それは同じバイト先という狭いコミュニティにお互いが所属したことが大きいだろう。同じ狭いコミュニティに所属していると、どうしても話す機会が増える。どうしても一緒に行動する機会が増える。そして、私的に遊ぶような関係になった。


僕は、その先輩(たち)から、非常に大きな刺激を受けている。いろいろな遊び方。いろいろな話し方。いろいろな考え方。いろいろな人間の紹介。いろいろなコミュニティの紹介。いろいろな経験の紹介。いろいろな趣味の紹介。etcetc


そんななか感じるのだ。大きなコミュニティの中で自然とできた友人より、その先輩たちの方が僕に刺激を与えていると。


それはそうなのかも知れない。だって狭いコミュニティに所属したことによってはじめてできた友人は、自分と何らかの共通点が、大きなコミュニティの中で自然とできた友人に比べ少ないのだから。狭いコミュニティに所属したことによってはじめてできた友人の方が自分に刺激を与えるのはごく普通のことだろう。


だから、狭いコミュニティに所属したことによってはじめてできた友人(=大きなコミュニティの中ではなかなか自然と友人にならならないであろう人)も大事にしたい。僕に多くの刺激を与えてくれるから。


先輩の発言も、今まで先輩が受けてこなかったような珍しい刺激を僕から感じとっていたからに違いない。


こう書いていくと、どっちも大事にしたいのだから、「大きなコミュニティの中で自然とできた友人」、「狭いコミュニティに所属することによってはじめてできた友人」とかいう区切りはあまり意味を成さないような気がしなくもない。また、成長し、狭いコミュニティにのみ所属する機会が増えるにつれて、段々その区切りも曖昧になっていくのだろうということも感じる。


さて、バイトから帰ってまっすぐ机に向かい僕は何が書きたかったのか?


出会った人を大事にしたいなあ。


《20080119の記事》