①あるがままの世界→④私という個がみている世界

私たちは純粋にあるがままの世界を見ているわけではない。あるがままの世界を感じているわけではない。
あるがままの世界と私たちの認識する世界には大きな違いがある。あるがままの世界とは決して人間には知覚できず、ただ観念として存在するのみ。
あるがままの世界から私たちの認識する世界へ。それは混沌から現実へ。カオスからリアルへ。無秩序から秩序へ。意味のない世界から意味のある世界へ。


あるがままの世界から私たちの認識する世界にいたるまでにはいくつかのレイヤーを設定できよう。今日はちょっとそれをまとめてみた。


①あるがままの世界
混沌。ただの粒子の流れ。意味というものが存在しない。人間には知覚できない。観念上の存在。

②人間の感覚器官という制約を受けた世界
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚などによって形作られるであろう世界。紫外線は見えない。化学物質の分布もよくわからない。極めて限られた世界。限定的な世界。あるがままの世界を一方的にかつ暴力的に区切った世界。もちろん、犬や蟻には別な世界がみえる

③人間の神経系で自動的に処理され恣意的な感情が加わった世界
二番の世界は人間の神経系によって処理される。ここでは二番の世界に足りないものを自動的に補ったりする。盲点の処理がいい例(人間の目には盲点という全くみえない部分があるにもかかわらず、無意識的に処理され推定しうる風景がそこに当てはめられ、「私」はそれに気づかない)。また、ここでは二番の世界にはなかった感情が自動的に付与される。例えば、まっ赤なものを見ると興奮するのがよい例。

④私という個がみている世界
現実。三番の世界は基本的に人類共通だが、個々の遺伝的特性や所属している集団の特性、経験により違いがある。例えば、同じ異性を見たとしても、多少違った感情が自動的に付与される。これが現実。今私が見ている世界。今あなたが見ている世界。解釈された世界。


《20071210の記事》