「本は人を大きくさせるんだ」

「本は人を大きくさせるんだ」


 高校の卒業アルバムに友人が書いてくれた言葉。私が、人から言われて一番嬉しかった、びっくりした言葉。


 その友人は親友だったというわけじゃない。プライベートで遊んだことはなかったし、クラスも一度も同じではなかった。ただ、帰り道が同じで、たまに部活帰りに鉢合わせして一緒に帰っていたという程度だ。


 電車の中でいろいろ語り合った。僕は彼を認めていた。なぜなら彼には夢があったからだ。いつか起業して金持ちになってみせるという。高校二年になって明確な目標を掲げるやつはそういない。しかも、彼は確固たる努力で目標とする高いレベルの大学にいけるだけの成績を維持していた。大きな夢を持ち、かつそのためにしっかりと努力をするやつ。まさに、私と正反対の性格だった。だから、私は彼を尊敬していたし、自分とは異なるパーソナリティをもつ者として興味を持った。


 そんな友人が何を書くかと言えば「本は人を大きくさせるんだ」である。


 それを見たときの感動・衝撃を書くには少し年をとりすぎたかも知れない。


 あの時、高校二年前後、僕は猛烈に本を読んでいた。人間に関心がなかった。休み時間も授業中もひたすら本を読んでいた。極めて気の合うやつが他のクラスいたから、クラスではじかれないよう周りを気にする必要もなかった。だから、僕は、クラスメートを無視し、ひたすら本を、図書館にあった新書を読みあさっていたのだ。


 当時のメモを見ると僕がどんな問いを追っていたのかよく分かる。日本文化の特異性とは?日本文学の特異性とは?意識とは何?意識はどのように進化したのか?サルの意識とは?動物の意識とは?なぜ意識は必要なのか?どうして飢える人がいるのか?老荘思想は人を幸せにするのだろうか?古代の人々の意識とは?彼らは幸せだったのだろうか?人間おいて幸せとは?自然であるということはどういうことなのか?なぜ人は自然に惹かれるのか?


 それはおいといて、以心伝心。僕が周りの人間に興味がなかったように、周りの人間も僕に対して興味がなかった。



 「本は人を大きくさせるんだ」
 もちろん、本を読めば人が大きくなるなんて思いながら本を読んでいたわけではない。
 けれども、人に比べ僕が唯一していたことを多分はじめてちゃんと彼は認めてくれた。そして、表現してくれた。だから、あの時、僕は全く考えもしなかった衝撃に襲われていたんだろう。


 僕をいつの間にか見ていてくれて評価していてくれた人がいた。


 もっとも、今になって考えれば実に多くの人が僕のことを見ていてくれたことに気付くけれど。



 本は人を大きくさせるのか?
 アルバムをぱらぱらめくりこの言葉に久し振りに出会い、僕はふと思った。大学に入り僕は当時に比べ壊滅的な分量の本しか読まなくなっている。それに僕は欠陥だらけの人間だ。この解を自信をもって求めることはできない。実際、僕を多少とも普通の人間に近づけてくれたのはバイト先の人たちだった。


 でも、彼がそう言ったんだから。そして、あの時の僕がその言葉に衝撃を受けたんだから。本は人を大きくさせるんだと思うし、思いたい。実際、本が人を大きくさせるにはいろいろな条件が必要だろう。読むだけではだめで、議論したり、アウトプットしたり、社会に生かしていくことも必要だ。


 「本は人を大きくさせるんだ」。今は条件をつけないと自信を持って言えない。けれどいつか、条件がなくても、どうどうと自信を持って、そう語れる人間になりたい。


《20071211の記事》