これからの国語教育 〜正義と正義がぶつかり合う時代を見すえて〜

「読みを『開く』授業 山月記の場合」(高橋哲朗)

「文学における授業も今までのような研究者や教師が生み出してきた読みを正しい読みとして伝達、理解させることではなく、自らの読みを他の読みとの関係の中で一つの読みの可能性として相対的に位置づけ、そして、自己の読みと他の読みとの関係の中で、それぞれがなぜそう読んだかを意識化していくことで、そこに自己の枠組みに対する内省と変化を起こし、常に新しい変化を促す生産的、動的な場としての「読み」を通して、自己世界を認識し、同時に自己の周囲の世界との網の目をより柔軟に変容させることをねらいとすることが必要となる。」

スカイコミュの補足:国語は道徳になってはいけない。あくまで言語能力−−論理・表現による総合的な説明能力や言葉を使って自分なりに「真実にくい込んでいく」能力ーーの育成をはかっていくべきだ。引用した文章は国語が道徳にならないよううまく表現を工夫しながら、今後の日本の国語教育の有るべき姿を指摘したものである。