マンガと「戦争」

マンガと「戦争」
夏目房之介 1997 講談社


【表紙より】
手塚治虫水木しげるから宮崎駿エヴァンゲリオンへ―マンガは「戦争」をいかに描いてきたか。日本人の戦争観に迫る画期的マンガ論!


【雑感】
マンガの内容を分析することで、どのような時代背景がそのマンガに影響したのか、を探っている。なお、こういう方法を著者は「反映論」と呼んでいる。
著者は、マンガ表現の角度からマンガを批評することを得意としていて、その手法を本書で十分に生かせなかったことを、「最後に」という項目で吐露しいている。
「もともとマンガ表現論という私のスタンスは、マンガを時代・社会的変化の単純な鏡のように扱う、短絡的反映論への批判を含んでいた。本当ならマンガに時代を読む手続きは、もっと緻密な表現分析を土台にすべきだという思いがある。」p178
まったくその通りだと思う。


なお、マンガを論じるか、マンガからみる戦争観を論じるか、はっきりすべきだっただろう。本書は一応、後者を目指しているが、そのような大テーマをきちんと押さえているかと言われれば不十分と言わざるを得ない。網羅的でないし、こじつけと言いたくなるところも少々みられた。


前者に注目しても、『マンガと「戦争」』というタイトルに縛られて、それぞれのマンガを自由に考察できていない。芸術は、えてしてそう単純なものではなく、本書がそれぞれのマンガの神髄に迫っているかといわれれば、疑問を抱く。


もっとも、興味深い指摘もちょこちょこなされていて、非常に参考になった。それだけに、本書の姿勢が定まっていないのは残念である。


マンガも全然バカにできない。立派な芸術だと思う。そこらへんの大衆小説に劣らない、深みと広がりをもったマンガなんていくらでもある。
マンガを論じてみようとする態度をもって、マンガを鑑賞してみるのもおもしろいだろう。


【なるほどと思ったところをメモ】
エヴァンゲリオンについて
「人間であるシンジが語る不安や欝屈の言葉よりも、シンジと一体化したときのエヴァがあげる悲鳴ともケモノの咆哮ともつかない叫びに、切実な不安の感覚を聞く気がする。」p169
エヴァは、おそらく主人公たちの身体感覚の拡張であり、その苛立ちを暴力にかえて叫ぶ装置なのだ。」p170
「『エヴァ』の世界では、「戦争」は自閉した個人のなかのトラウマのたたかいにまで退行しているが、重要なのは同時に外へ出たい、他者と出会いたいという願望が強く感じられることだろう。」p170


《20080816の記事》