物尽し(日本的レトリックの伝統)

物尽し(日本的レトリックの伝統)
ジャクリーヌ・ピジョー著 寺田澄江・福井澄訳 1997 平凡社


【雑感】
列挙という修辞法がある。庭にあるのは、みかん、りんご、なし、ぱいなっぷる、いちご、めろん、かき、すもも、ばなな、ナタデココ、、、みたいな感じで、ある種の効果をねらって、共通性のある名詞や形容詞を列挙する方法だ。日本においては「物尽くし」ともいう。
その物尽くしの用例を集め、形態を考察し、意義について考えたのが本書だそうだ。
どうしてスカイコミュが、物尽くしに興味を持ったかというと、それは自分がよく使うからw


フランス文学と多少比較しているが、著者自身も理解しているように、日本以外の国と精緻に比較しているわけではない。日本以外の国と精緻に比較すればこそ、日本における列挙の特徴がつかめるのだと思うのだが。そういう意味ではもう少し踏み込んでほしかった。範囲は広いが興味深い問題だろう。


まあ、本書は、日本における列挙の特徴はつかめていると思う。


【メモ】
○きまりや宗教な文に列挙は多い。p15


○ローマ時代にクインティリアーヌスは「一つの単語(概念)に含まれる事物をいちいち述べれば、文が印象的になる」と指摘。P53
例)「略奪」→「住宅や寺院の間に広まる火事の炎、崩壊する屋根の大音響、様々な嘆きが一体となって上がる音、ある人々の逃走する様子、ある人々の親類といつまでも離れようとしない姿、子供や女の悲鳴・・・」


→なるほど、説得力あり。


○「林和比古氏が、物尽くしの芽生えとして取り上げておられる、源順の次の和歌を引用しよう。
一昨年も去年も今年もをととひも昨日も今日も我こふる君
これは「2年前から君を愛しているぞ」というより、いかにも時間の長さを実感させ、感動的で、説得力に富んだ言い方である。」p56


→おもしろい和歌w


○日本における特徴的な列挙は地名尽くしp61 日本では「詩的地理」の長い伝統が培われていたp115


○「日本の列挙は伝統的に洗練されている」p64


→もっと比較しないと断言できないだろう。最も、そういう傾向があるということは、本書を読んで感じた。


ラ・ブリュイエール『人さまざま』より
「子供というものは、お高くとまって、横柄で、怒りっぽく、ねたみ深く、好奇心まんまんで、計算ずくで、怠惰で、移り気で、臆病で、不節制で、うそつきで、ずるい。(・・・)つまり、すでに人間である。」p85


→おもしろい文章w


御伽草子の列挙は「あらゆる機会を把えて、話の筋が切れるのもかまわずに、読者を啓蒙しようとする作者の意志が、往々にして感じられるのである。」p111


○しかも、御伽草子の列挙が与えようとしている知識は、実際の生活とはあまり関係のない文学的教養の領域に関わっている。p114 ex、商品、地名、食べ物、天皇、官職名、恋


○「物尽くしの途方のない長さは、その過剰さゆえに笑いを引き起こすことがある。」「言葉の積み重ねはそれ自体遊技的である。」p129


御伽草子には「否定的とみなされた事柄に関する物尽くしが極端に少ない」p131


○「列挙は豊かさの文学的表現」p135


枕草子において清少納言は「「主観的な」属性、つまり、観察者の印象や価値判断に左右される現象を好んで選んでいる。」p158


枕草子にみられる列挙では、最初に一般に納得できるような客観的なものを並べて、その最後に(主観的な)オチを付したものがある。P158


《20080529の記事》