1984年

おすすめ!
1984年
ジョージ・オーウェル著 新庄哲夫
S47 早川書房


【あらすじ】
ジョージ・オーウェルが描くこなかった近未来、それは偉大な兄弟(ビッグ・ブラザー)が支配する超管理国家だった。
 真理省で歴史の改変にたずさわるウィンストンは人間のありとあらゆること、その日の行動、報道、過去、歴史、娯楽、思想、感情さえ管理監視する党に密かに反発を抱く。やがてそれは日記をつけることやこっそり部屋を借りること、同僚シューリアとの恋愛というかたちでだんだんと行動に表れていった。
 そんなウィンストンもとうとう思想警察に捕まってしまう。彼はあらゆる拷問を受け、心から改心する。そう、党は正しかったのだと。そして、自分は偉大な兄弟、ビッグ・ブラザーを愛しているのだと。


【雑記】
 SFの成否はどれだけ魅力的な世界を構築し得たか、にかかっているだろう。本書の描く世界。超圧政国家、継続的な戦争によって民衆を知的にさせてしまう富を破壊し続ける国家。上層階級の維持が目的の国家。


 上層階級の維持、社会構造の恒久化のため民衆を管理・統制し、国民のガス抜きのため権力を正当化するため、戦争を続ける国家の姿は一定のリアリティがある。


 党のやることは徹底的だ。民衆には「二重思考」(一つの精神が同時に相矛盾する二つの信条を持ち、その両方とも受け入れられる能力のこと、例えば空は青いと分かっていつつ心から空は赤いと思いこめる能力のこと)を要求し、「新語法」という極端に簡略化した言葉を根付かせようとしている。新語法はその極端な簡略化によって、思考の範囲を縮小する。例えば、平等という言葉はあってももはやそれは人間は体重や体力の面において同一だという意味でしかなく、政治的平等などという概念を消失させている。言葉の持つ微妙なニュアンスを排除し、思考を一定の方向に持っていかせる恐ろしい言葉である。


 ウィンストンは、人間の感情まで党は干渉できないだろうと思う。拷問を受け、ジューリアを告発するようなことがあっても、決して彼女を愛することはやめないというのだ。もし、感情まで干渉されなかったとき、それはウィンストンの勝利だろう。その逆は党の勝利だ。


 結局どうなったのか。ウィンストンは負けた。もちろんそんな認識を抜きに。最後に、愛したのはジューリアの方ではなく党の方だった。


 冷戦時に書かれたというが、今読んでも全然古くなく、現代の生活に示唆を与えるところも大きい。思い切った思考実験をしたというところだろうが、オーウェルが描くような世界に近い世界はスターリンの打ちたてたソビエト連邦を始め過去世界中にあった。いや、私たちの現生活はどうか?「1984年」の世界は極端でかつ人民に少しも疑われていないという点では完璧に運営されているが、私たちの世界だって、軍需産業や民主主義、資本主義に疑いがいかないようなシステムになっているとはいえないか?


 権力とは何か?現実とは何か?過去とは何か?自由とは何か? 昔から言われてきたようなものばかりだけど、こんな哲学的な問いも発している。


 オーウェンはビッグ・ブラザーという絶対的抽象的権力者を創造した。その存在は極めて疑わしい。おそらく絶対的権力システムを抽象的に表現したものだろう。だからあの世界が続く限り、彼は死なないし絶対に正しい。神という概念に匹敵するような新規な概念であり、新規なキャラクターである。現代日本においてビッグ・ブラザーと呼べるほどの絶対的権力システムがあるとは考えられないが、それに類するものを考えてみることも良いだろう。今でも、血脈が大きな影響を与える大企業は多い。政治の世界も。マスコミの世界も。


【名言】


「権力の目的は権力それ自体にある。」


「われわれは精神を支配しているからこそ物質も支配しているのだ。 現実というのは頭蓋骨の内部にしか存在しないのだよ。 君も段々に分って来るさ、ウィンストン。 われわれに出来ないことは何一つない。 姿を隠すこと、空中を浮遊すること--何だって出来る。 その気になりさえすれば、私はこの床上からシャボン玉のように浮揚できる。 しかし私はそれをやりたくない。党がそれを望んでいないから。 自然の諸法則に関する十九世紀的な考え方は放棄しなくちゃいけない。 われわれが自然の諸法則を造るのだ。」


「過去を支配する者は未来まで支配する、現在を支配する者は過去まで支配する」


《20080107の記事》