ちゃんと話すための敬語の本

ちゃんと話すための敬語の本
橋本治 2005 筑摩書房


【重要な点あるいはskycommuの琴線に触れた点】
「敬語というのは、「相手と自分とのあいだには距離がある」ということを前提にして使われる言葉です。」p24


→興味深い主張だけど、ここでいう「距離」の定義付けが曖昧。尊敬し親しみを感じる上司にだって敬語を使うことはある。
だから、最低でも「精神的な距離」と「立場的な距離」に分けて考える必要があるだろう。
敬語というのは上の両方の距離があって使われるのですと橋本市が主張したいのであれば、私は賛成できない。
まあ、そんな主張をしているようには思えないが。だからこそ、もっときっちりと「距離」の定義付けをすべき。


「敬語は、そもそもが「昔の言葉」です。」p34


「「敬語」の多くは、「人のランクづけ」をもとにした、「尊敬の敬語」や「謙譲の敬語」です。今ではそういうランクづけがなくなってしまって、敬語で一番必要なのは、「ランクの差」とは関係ない「丁寧の敬語」なのです。(中略)「尊敬」というのは、個人個人がそれぞれにするもので、「社会の決めた“偉い人”のランクに入っている人は、尊敬しなければならない」という考え方は、もう古くて、成り立たなくなっています。」p59
→なるほど!


「「ランクが下の人には、命令口調だけでいい」ーーこれが、隠された敬語の暗黒面です。「敬語を使え」と言うことは、実は、「おまえは俺に対して、尊敬と謙譲と丁寧語を使え。オレはおまえには使わない。オレは偉いんだからな」ということと同じなんです。」p84


「現代で敬語が必要なのは、「目上の人をちゃんと尊敬するため」ではありません。「人と人との間にある距離をちゃんと確認して、人間関係をきちんと動かすため」です。」p85


「日本語にはそれだけの「二人称の代名詞の区別」があるのですが、でも、「知らない人が目の前にいる時に使う二人称の代名詞」は、ないのです。」p89


「長いあいだ「尊敬」や「謙譲」の敬語を使わなければいけない社会で暮らしていた日本人は、他人のことを考える時、「この人は自分よりえらいか、えらくないか。えらいとしたらどれくらいえらいのか」と考える習慣がついてしまいました。(中略)「えらいとかえらくないとかとは関係ない、親しい人」というのがいないのです。」p95


「いちばん近い人には、「距離」がなくてもいいような「ひとりごとの言葉」−−タメ口でも大丈夫です。「ちょっと距離があるな」と思ったら、丁寧の敬語」です。「ちょっと」どころではなくて、「すごく距離があるな」と思って、それが「丁寧の敬語では役に立たないくらいと遠い」と思ってしまったら、「尊敬の敬語」や「謙譲の敬語」を使います。現代の敬語は、そのような使い方をするものなのです。」p123


【感想】
はっきり書く。非常におもしろく、はっとさせられた本だった。きちんと考えたことのなかった敬語の役割についていろいろ考えさせられる本だった。上に引用したことは基本的に支持したい。


しかし、とても残念だったのは、いろいろ極端な意見があったり根拠薄弱で強引な意見が多々みられたことだ。例えば、「「目上の人には敬語を使え」と、「目上の人を尊敬しろ」とは、ほとんど同じことだと考えられています。でも違いますね。「目上の人」に尊敬語を使うのは、その人が「えらい人」だからです。「この人はどの程度えらいのか」ということを、国家がランクづけしていたから、半分「しょうがねェなァ」と思いながらも、昔の人は「目上の人=えらい人」に、敬語を使っていたのです。別に「尊敬していたから」ではありません。」とか平気で書いてくる。身分制社会においてはそうではないだろう。


こういう微妙な問題を説明もなしにさらっと書かれると本全体の品位を貶めるから注意したい。


他にも指摘したい強引な意見が多々あるけど、鬼の首を取ったかのように列記するのはめんどいからいいや。まあでも、なかなか考えさせられる良い本。


《20080210の記事》