東京に旅行したとき、メモ帳に書いたメモと雑記

およそ9ヶ月前、東京を小旅行した。
その時のメモ帳が見つかったのでそこに記されていた文章を転写しておく。


「若いことはいいことだ。なぜなら、それだけ驚きを得やすいから。いろいろなことを知り、体験していく。そんな時期が人間として一番充実を感じる。
ある学校の先生が「君たちは箸を落としただけでも笑う歳だ」とおっしゃった。先に書いたことよりレイヤーは幾分下がったが、本質的に言ってることは同じであり、また大事にしてよく考えたい言葉だ。幸せ(幸福感)というものについて多少の知見は得られるだろう。」


今の僕でも文章の中身はよく理解できる。
しかし、これを書いたときの僕はおそらく、そうそう経験できないほど強い感情を持ってメモに書いてあることを感じていたのだろう。おそらく、人物金の集積する東京のど真ん中を歩き回り這いずり回り、心を空虚にしながら真摯にそう感じたに違いない。
そして思いついた稚拙な文章を、プリントの切れ端に慌ててメモしたに違いない。


人間は当然、人間の心は当然、いつも同じであるわけではないし、時間がたつにつれどんどん変わっていく。そう、感情も時間がたつにつれてどんどん忘れていく。


強い思い、尊い思い、残酷な思い、悲しい思い、愛しい思い、怖い思い、寂しい思い、やるせない思い、どうしようもない思い、楽しい思い、うれしい思い、許せないという思い、、、


気づけば、激しい感情も忘れてしまう。
そんなことないって?
でも、自然にわいた感情と意識的に心に植え付けている感情が一緒であるかい?
でも、ある感情が維持されるにしてもその激しさは薄まるだろう?
愛だっていつか冷める。恋だっていつかは冷める。恨みだって。憎しみだって。怒りだって。尊敬だって。


こうやって、古いメモを見つけると、強い感情を抱いていた時の僕を、どうしようもなく愛しく感じる。だって、、、、、、もう、、、、、、よっぽど無理をしたって、、、、、、その時の感情を同じく体感することはできないのだから。


《20071208の記事》